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インフォーミング・ジャッジメント
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VI VI. 南アフリカ共和国におけるHIV母子感染の抑止
 Reducing Mother-to-Child Transmission of HIV Infection in South Africa
Jimmy Volmink,Patrice Matchaba,Merrick Zwarenstein
川上 純一   富山医科薬科大学附属病院 薬剤部
エグゼクティブ・サマリー(Executive Summary)
序 論(Introduction)
政治的背景(Political Context)
ポリシーの論拠(Rationale for the Policy)
われわれからの報告書(Our Report)
反映と一般化(Reflection and Generalization)
文 献
用語集(Glossary)

反映と一般化(Reflection and Generalization)
 他の国々と同様に南アフリカでは,医療政策のポリシーは,信頼性があり医療活動の方針形成に必要な組織に所属するポリシー提案者と,提案されたポリシーを審議・決断しようとする推進力によって形成される。ポリシー提案者は,政権与党や国会での野党連合,または営利団体,環境団体,特別利益団体および労働者団体などの影響力のある市民社会団体である。ポリシーは,同盟関係,求められる支援そして妥協などの政治的な闘争の結果として決定されることもある。科学的なエビデンスについては,その治療が臨床的に無効であることを示すエビデンスの場合は実行に反対するために用いられるが,一般的には大きな影響力を有していない。すべての要因の中で最も影響力があるのは,治療効果ではなく,納税者への経済的負担である。

 われわれは,妊娠期間中の抗レトロウィルス治療に関するベネフィットとリスクのレビューへの要請に対応する際に,保健省は医学的効果と費用対効果が認められれば介入を行うと考えていた。しかし,後からわかったのだが,この考えは甘かった。われわれは一連の過程の中で,この問題は極めて高いレベルのポリシーメーカーと政治家によって取り扱われており,彼らの意志決定は主として政治的な枠組みでなされていて,治療の有効性や費用対効果は重要とはされていないことを認識した。われわれがエイズに関連する政治的,社会経済的要因のインパクトをもっと重視するべきであったことは明白である。

 科学的なエビデンスは合理的なポリシーを形成するために必要な一つの要因でしかなく,政府には特定の立場をとる理由があることは理解しているが,もし保健省が研究者に研究結果についてディスカッションする機会を与えればそれは大きな力となるであろう。
■□■  学んだレッスン(Lessons Learned)  ■□■
 周産期の抗レトロウィルス治療のケースでは,エビデンスは政府のポリシーを変更させるには十分な原動力にはならなかった。この理由として,現在の状況における研究者と政治家との協力関係は満足できるものではないことが挙げられる。ポリシーメーカーは,彼らが受け取るエビデンスを予測したりコントロールしたりすることはできず,エビデンスがポリシーを決定する社会的,政治的な要因に反する場合には無視しなければならないこともある。しかし,これに挑戦することによって,研究者と南アフリカのポリシーメーカーが医療問題に関する意見交換を継続するための道を見出すことができる。研究者の側としては,ポリシーメーカーが受けている制約を認識することは,そのような意見交換を推進する手助けになるであろう。一方,ポリシーメーカーが彼らの意見をより率直に述べることは,研究者の助けとなるであろう。

 われわれの経験により,エビデンスがどのように利用されるかに応じて,エビデンスの評価に要する作業量を調整することが重要であると示唆された。もし,エビデンスに対する最初の評価が望ましくない結果を生むことが予測されるならば,深い探求は行わない。予測が可能であればエビデンスの詳細なサマリーを作成する前に,利害関係者の徹底的な分析が行われなければならない。州のポリシーメーカーがわれわれとの政策研究の共同作業に意欲的ではないという事実は,上司に批判的であると解釈されることを恐れて,政治的な問題に関わる内容には個人的な意見を述べたがらないことを示唆しているのであろう。
■□■  失敗の理由 (Reasons for Failure)  ■□■
 なぜ南アフリカ政府は,エビデンスに対して応じることなく,MTCTの抑止のための抗レトロウィルス薬の使用を支持するポリシーを採択しなかったのであろうか。これにはいまだに政府から明確に回答されていない。活動家やメディアの推測はさまざまであるが,下記の理由が考えられる。
各州には孤児を援助する経済力がない。
南アフリカには抗レトロウィルス薬を効果的に普及させるプログラムを構築する経済力がない。
政府は,すべての必須医薬品のコストを下げるという最終的なゴールを達成するためには,製薬業界との闘争に勝たなければならない。

 政府内には,いくら薬剤費を費やしても南アフリカの黒人がエイズや他の感染症への感染率が高いことの根本原因は変わらないであろうという「語られない」懸念があった。恐らく長期的な展望としては,職業や教育の機会を増加して貧困や栄養失調をなくすことで,財源はより有効に利用されるであろうと示唆される。

 この複雑で衝突による問題の多い状況を理解するためには,南アフリカは長く困難な奮闘が続いた後に民主的に勝ち得た権力と政治的責任を有した新政府をもちながら,いわば毒が入った自由の盃をたずさえているという状況を認識すべきである。過去に起きたホロコースト,飢饉,戦争よりもはるかに多くの人口が失われるという予測に直面して,政府の否認は理解できる対応であろうか。この困難な状況に対して建設的に対処する手段を見つけるためには,大いなる知恵と今後のさらなる研究が必要なのである。
■□■  あとがき(Afterword)  ■□■
 最近になって,政府の一部には抗レトロウィルス薬に関連して積極的な動きがあった。一部の地域で行われたnevirapineを評価するSAINT試験で有効な結果が公表されたことにもとづいて,保健省は国内の9つの州において試験的な研究を行うことを指示した。この試験研究の正確な目的や,ポリシーを修正するために結果がどのように利用されるかは明確ではないが,HIVのMTCTを抑止するための国家対策の一つとして抗レトロウィルス薬を考慮する価値があるとした初めての政府見解である。
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