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> わが国の臨床試験とそれを評価するための枠組みー3
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◆ 第4章
本邦の臨床試験の質に関する分析と考察
◇ 第1節
臨床試験の実施に伴う費用と便益
◇ 第2節
新GCP導入の影響の分析
◇ 第3節
臨床試験の倫理をどう捉えるか
◆ 第5章
総 括
◆
文 献
◆
表
へ
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第3節 臨床試験の倫理をどう捉えるか
本章の締め括りとして,費用・便益の構成要素を明確にすることで,臨床試験を巡る倫理に関する議論がわかりやすいものになることを示したい
55)
55)小野俊介. ICH-E10ガイドラインにおける倫理とヘルシンキ宣言について. 臨床評価 2001; 28(3): 397-408.
。 ここでは特に,有効性の検証のためにプラセボ対照試験を実施することの是非について整理して議論する。
臨床試験の主たる目的である有効性と安全性の検証のために,適切な対照群を設けた比較対照試験を実施することは, 過去の(時に手痛い)経験を踏まえての大原則の一つである。個々の薬効領域でどのような対照群を設けて比較試験を実施するかについては, 従来,薬効群ごとに作成されたガイドライン等において考え方が述べられていたが,今般, 厚生労働省の通知として周知されるに至ったICH E10ガイドライン「臨床試験における対照群の選択とそれに関連する諸問題」においては, 薬効群ごとにではなく,一般的な意味での対照群選択の注意点が盛り込まれている
56)
56)厚生労働省医薬局審査管理課長通知.「臨床試験における対照群の選択とそれに関連する諸問題」について( 平成13年2月27日).
。
一方,臨床試験における対照群,特にプラセボ対照の倫理的な妥当性については, 2000年10月修正のヘルシンキ宣言において世界医師会のスタンスが明確に示された。 ヘルシンキ宣言のスタンスは,プラセボ対照試験の実施に対して厳しいものであり, 有効性評価の目的でプラセボ対照を比較的強く求めている米国FDAのスタンスとの不整合が報じられている
44)
44)Helsinki's New Clinical Rules: Fewer Placebos, More Disclosure. Science 2000; 290: 418-9.
。
E10作業グループの中心メンバーであるFDA Temple氏らは, ICH E10ガイドラインに述べられている考え方とヘルシンキ宣言における規定との齟齬に関する意見を述べている
32
32)Temple R, Ellenberg SS. Placebo-controlled trials and active-control trials in the evaluation of new treatment. Ann Intern Med 2000; 133: 455-63.
,
57)
57)Ellenberg SS, Temple R. Placebo-controlled trials and active-control trials in the evaluation of new treatments. Part 2: Practical issues and specific cases. Ann Intern Med 2000; 133: 464-70.
。 その中で,最も注目を集めているのが,「現に有効とされる治療が存在している状況でプラセボ対照試験を実施することを倫理的に許容しうるかどうか」 という点についての両者の隔たりである。
狭義の医師・患者関係のみに注目する限りは,両文書の溝は埋まりそうがない。 Temple氏らは,発毛薬の例や短期のアレルギー性鼻炎,不眠症,頭痛等の治療薬の例を挙げて, これらの試験における患者の不利益は(常識に照らして)受け容れ可能なものではないかと主張する
32)
32)Temple R, Ellenberg SS. Placebo-controlled trials and active-control trials in the evaluation of new treatment. Ann Intern Med 2000; 133: 455-63.
。 一方,改訂されたヘルシンキ宣言では「新しい方法の利益,危険,負担及び有効性は,現在最善とされている予防, 診断及び治療方法と比較考量されなければならない。ただし,証明された予防,診断及び治療方法が存在しない場合の研究において, プラシーボまたは治療しないことの選択を排除するものではない。(第29項)」とし,報じられているところでは, 上述の例のような分野でのプラセボ対照試験さえも許容できないとしている
44)
44)Helsinki's New Clinical Rules: Fewer Placebos, More Disclosure. Science 2000; 290: 418-9.
。
ここでの両ガイドラインの立場の違いは,
Table 4-1
における被験者の直接の費用はどうあるべきか,特にその機会費用をどのように捉えるべきかという論点に集約される。 すなわち,世界医師会のスタンスは,患者の機会費用をその時点での最善の医療とし,患者はその時点での最善の医療を保証される「べき」であること, つまり,医師が提供する医療に関しては患者の負担(費用)が発生してはならないとするきわめて厳しいものである。
このスタンスは,途上国でのHuman Immunodefi-ciency Virus(HIV)垂直感染の 予防に関する抗ウィルス薬の短期使用の臨床試験の是非についてのよく知られた議論において さらに明らかになる
58
58)Brennan TA. Proposed revisions to the Declaration of Helsinki. Will they weaken the ethical principles underlying human research? N Engl J Med 1999; 341: 527-31.
,
59)
59)Levin RJ. The need to revise the Declaration of Helsinki. N Engl J Med 1999; 341: 531-4.
。 世界医師会は,発展途上国の患者における機会費用も,先進国の患者と同様に,その時点での最善の医療である「べき」とし, 患者をはじめとする登場人物の間での(概念的な,あるいは,現実の)交渉により効率を達成するというutilitarian的な考え方は受け容れられないとするスタンスを, 世界医師会側の根拠に基づいて明確に示したのである。
一方,Temple氏らの側のスタンスは,
Table 4-1
の費用・便益の全体を考慮するものである。 特に,
Table 4-1
の 将来の患者に生じる医薬品の便益を重く見る。「有効と証明された治療が存在している状況」でプラセボ対照試験を行ってはいけないとし, さらに,世界医師会のHuman氏が言うように「新薬はその時点での最高の治療と(比較)試験しなければならない」とすると, たとえば次のような問題が生まれる可能性があるとする
57)
57)Ellenberg SS, Temple R. Placebo-controlled trials and active-control trials in the evaluation of new treatments. Part 2: Practical issues and specific cases. Ann Intern Med 2000; 133: 464-70.
。
まず,そうした治療領域での薬剤治療の進歩が止まってしまうおそれがあるとする。 もし,最高の治療と同等あるいはそれ以上の有効性の薬剤のみしか承認されないとすると, 過去数多あるbreakthrough医薬品のうち,有効性以外の観点から優れた特性を示すもの(たとえば,セロトニン選択的再取込み阻害剤, シクロオキシゲナーゼ-2阻害薬等)は世の中に出なかったのではないかという懸念である。 もっともこの懸念に対しては,「ヘルシンキ宣言での「最善」の概念は,当然,有効性と安全性の両面からのものである」という回答が示されることになるかもしれない。 しかし,一般に,そのような目的の信頼できる複合的評価項目が常に存在しうるかは疑問である。
もう一つ重大な懸念は,新たな医薬品を承認するためのハードルをどこに設定するかという点である。 仮に,ある新薬の有効性が既存の最善の治療と「同等以上」なら承認するとすれば,それを検証する試験は, 現実問題としては,実薬対照非劣性試験ということになる。その場合には,ICH E10ガイドラインが唯一規範的に問題にしている 「無効な薬剤が有効として承認され,市販される可能性」が高くなるおそれがある。
人間は,ときに判断を誤る。その割合・率が高くなることを限界的に受け容れるかどうか, また,どのような分野で無効な薬剤が発生することを受け容れるか(たとえば,アレルギー性鼻炎の患者では無効な薬剤が許されるが, がん患者や風邪の患者では許されないとすること)だが,プラセボ対照試験に反対の立場の人々は, プラセボ対照試験を許せないとするまさに同じ理由から許容できないはずである。あるいはそこまで原理原則に厳しい立場を採らないにせよ, ヘルシンキ宣言の信奉者があまり好むとは思えないutilitarian的な限界的な価値判断が必要になるだろうし, また理想を実現するためには現実的な交渉が必要かもしれない。
ここまでの議論は,しかし,ヘルシンキ宣言の真の理想を反映していない可能性がある。 仮にではあるが,「有効性(あるいは安全性)について同等な薬剤には存在価値が全くなく,世の中には必要ない」とするスタンスが 同宣言の真のスタンスであったとしたらどうか。 過激な主張だが,決してありえないものではない。先に述べたとおり,現にヘルシンキ宣言には「ヒトを対象とする医学研究は, その目的の重要性が研究に伴う被験者の危険と負担にまさる場合にのみ行われるべきである(第18項)」という規定があり, そこで「目的の重要性」がゼロと判断される可能性がある場合としてutilitarianなら最も容易に思い浮かぶのが,全く同等の薬剤の新規参入という例なのである。
utilitarianであれば,たとえば,独占の社会厚生的損失等を挙げて,そのような社会の非効率性を論じるであろう。 そして,そのような考え方は,ある意味でutilitarian的なLevine氏らのスタンスを「倫理的でない」としたのと同じ理由により, 結局,世界医師会に退けられることになることが予想される
57)
57)Ellenberg SS, Temple R. Placebo-controlled trials and active-control trials in the evaluation of new treatments. Part 2: Practical issues and specific cases. Ann Intern Med 2000; 133: 464-70.
。 しかし,医師と患者の倫理的なあり方から導かれる帰結として,「アレルギー性鼻炎に効果を示す薬剤は世の中に一つだけでも良い」, 「発毛薬は○×スプレーのみで良い」という規範的判断を下す社会が健康な社会といえるかどうかについて,世の中の大多数の人々がそれを是とするかについては疑問ではある。
さらに,世界医師会のスタンスは,被験者自身のintegrityを無視しているおそれがあるのではないか (すなわち,
Table 4-1
の被験者の主観的な便益をどう考えるか,医師会が倫理的でないとする試験を被験者自身が求めることをどう考えるか)という懸念がある。 「本人が了承しているのであれば,身体の売買も許される」のかどうかについては, たとえばlibertarianの観点から興味深い議論があることは事実である
60)
60)森村進. 自由はどこまで可能か. 東京: 講談社, 2001.
。
倫理を論ずる際に,時として「非人間的」と槍玉に挙げられるutilitarianism ではあるが, 「一人の人間は一人の人間として評価する。患者も,医師も,企業の株を有する人も,悪人も,善人も,皆,一人と数える」という費用便益分析における考え方は, 必ずしもすべての場合に非人間的とは思われないというのが筆者の見解である。
なお,ICH E10ガイドラインとヘルシンキ宣言のスタンスが一致しない理由は,
Table 4-1
の どの要素を重視して倫理を唱えるかという上述の論点のみならず,そもそもの両ガイドラインの目的の違いにも求められることは明らかであるが, 本論文の主旨から外れるので議論はこれに留める。
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