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第2節 新GCP導入の影響の分析
Table 4-1の枠組みを用いて,新GCP導入の社会への影響を議論することができる。
一方,便益に目を向けると,新GCPの導入は,被験者に生じる臨床試験の直接の便益(本章第1節第2項に示した第一の便益),
特に医療従事者と患者の関係を深め,患者の満足度を高めることによる価値が期待される。
一般的な意味での被験者の権利の尊重の向上も評価する必要があるが,その評価は,現在の被験者のみでなく,
将来被験者になりうるすべての国民を念頭において行うべきであろう。第二の便益たる試験の成果の総括報告書や論文の価値は確かに上がるだろうが,
その大きさをどう評価するかは難しい。新GCPが将来の医薬品市場に医療上有用な医薬品を多数導くことになるかについては確かではない。
しかし,1997年前後に著しく落ち込んだ治験届の件数をみると,特に短期的には,新GCPの導入は新薬の開発を一時停滞させることにより,
医薬品開発の「障壁」となっている可能性が高い11)11)Ono S, Kodama Y. Clinical trials and new good clinical practice guideline in Japan.Pharmacoeconomics 2000;18:125-41.。
第1項 社会的な費用
以上の考察を踏まえると,特に便益をめぐる不確かさから,
少なくとも経済学的な枠組みから新GCPの導入の便益が費用を上回るかについての明確な結論は得ることは現時点では困難である。
また,そうした結論を得るためには,今後の長期的な医薬品市場の観察が必要であろう。
無論,効率性のスタンスからの議論のみならず,別の観点,たとえば,倫理や道徳上の価値観から新GCPの意義を評価することはきわめて重要であり,
その際にどのような方法論が採用されるべきかは興味深いところであるが,本論文ではこれ以上の言及は行わない。
ただし,Table 4-1に示した枠組みが臨床試験の倫理を議論するうえでも有用な道標たりうることは,第3節において述べる。
第2項 分配的な観点
新GCPの実施による分配的な帰結を調べることは,すなわち,その政治的な影響に光をあてることである。
Table 4-1に出てくるプレイヤーのうち,
治験実施医師は,新GCPにより課せられた追加的な負担が十分に補償されない限り‘loser’である。
新GCPの遵守が臨床試験の科学的・倫理的最低ラインとなったとすれば,
医師の新GCPの遵守のための限界的な努力が科学論文等の価値を高めるとは考え難い。
この点については,医師(医療機関)グループは,直接・間接的な補償を求める姿勢をさまざまな機会に明らかにしている。
これに対応して,たとえば,国立大学病院等に治験コーディネーターを配置すること等の援助が国から行われている。
これは,納税者たる国民から医師・医療機関への補償にあたる。一方,公務員である大学病院医師等に対しては,個人レベルの直接の補償は行われていない。
治験依頼者たる製薬企業が‘gainer’か‘loser’かは現時点でははっきりしないが,医療機関に対する金銭的支払いという視点でみると,
新GCPの導入後,明らかに支払い総額は大きくなった52)52)文部省調査. 日経新聞 平成10年6月1日: 19.。
これは,直接には,臨床試験の「価格」を,費用の構成要素を文部省が定めたポイント表で計算することとしたためである。
ポイント表は,試験における資源の消費に対応する要素,たとえば,対象疾患の重篤度,試験デザイン,実施期間等を盛り込んでいる。
試験の「価格」が上がったとき,試験の売り手である医療機関の総収入が増えるか減るかは,
買い手(製薬企業)の需要の価格弾力性により決定される。定性的には,われわれが観察している短期では,
第2章における観察も踏まえるとinelasticではないかと予想されるが,これを確認するためには数量的な分析が必要である。
ただし,1990年代後半から海外で実施された試験データの受け入れが進んでいることから,
分析においては国内の試験に対する需要曲線自体が変化していることも考慮しなければならない。
被験者は新GCPの導入による‘gainer’だと考えられるが,日本の患者の反応は単純ではない。
1998年に新GCPが導入された後での調査では患者は試験に参加することを以前にも増して躊躇していることが判明している。
直接の理由は,インフォームドコンセントの過程で,被験者に文書による詳細な説明,特に薬剤の副作用の可能性等についての説明を行うようになったことである。
近年,一般的な医療の場で,処方される薬剤等について情報を得る機会が増えたとはいえ,
薬剤に関してこれほど詳細な危険性の説明を受けることは臨床試験以外の場ではまずありえない。
被験者を驚かせるのは,一般医療におけるインフォームドコンセントと臨床試験におけるインフォームドコンセントの落差である。
これは,また,旧GCPにおけるインフォームドコンセント(口頭同意でも可とされた)との落差でもある。
第3章第5節でも述べた臨床試験に関する情報の不足と相まって,
被験者が「最近,臨床試験が危険になった」かのような誤った認識が広がることも危惧される。