荻原 SH 2009 は,簡単に言えば,リスクの層別化と高血圧の管理計画から始まり, 次に厳格な降圧目標,24 時間にわたる血圧管理,家庭血圧の重要性,そして第一選択薬, 薬剤の併用について,臓器障害や他疾患を合併する高血圧治療,といった順序となっています。 リスク評価,血圧の管理計画などは,どのように変わったのでしょうか。
菊池 リスクとして,正常高値血圧とメタボリックシンドロームを含めることになり, どう扱うかが問題になりました。といいますのは,ガイドライン作成の根本的な姿勢をこれまでと同様に, 一般医家の日常診療に利用されやすい簡便なものにするということにいたしました。 したがって,正常高値血圧とメタボリックシンドロームの追加は,層別化をかなり複雑にしてしまうからです。
ESH(欧州高血圧学会)および ESC(欧州心臓病学会)の『高血圧管理ガイドライン 2007』(ESH−ESC 2007)では, リスクの層別を 4 層にしてありますので,比較的整合性がとれたかたちで分類できています。 一方,JSH 2004 の基本方針では,簡便にするためにリスクの層別を 4 層にはせず 3 層にとどめることが最終決定されましたので, リスクの層別が 3 層で,正常高値血圧とメタボリックシンドロームをいかに振り分けるかが大きな問題になりました。
2008 年 4 月から開始されました特定健診では,メタボリックシンドロームの発症抑制あるいは予防による, 高血圧や糖尿病,ひいては心血管病,腎不全への進展抑制が目標とされています。JSH 2009 が,特定健診と併せてメタボリックシンドロームの予防,進展抑制におおいに活用いただけるのではと期待しておりますし, それによって,高血圧管理の質も高まるのではないかと考えています。
ここで,最も問題になりましたのは正常高値血圧(血圧 130〜139 mmHg/85〜89 mmHg)で, かつ空腹時血糖値が糖尿病に至らない 110〜125 mg/dL の場合です。ESH−ESC 2007 では,このような対象であってもリスクの重積がある場合には, 臨床的には高血圧と判断するとの提言がなされ,JSH 2009 でも,この視点を採用することになりました。 しかし,このような対象に対しては,介入試験による降圧薬の有用性に関するエビデンスが世界的にもありません。 一方,疫学的な研究や観察研究からは,このような対象のリスクの高いことが明らかにされています。 そこをどう調整するかにたいへんな苦労がございました。正常高値血圧で糖尿病には至らない場合には,JSH 2009 では中等ないし高リスクに,ESH−ESC 2007 では超高リスクに次ぐ高リスクに層別されましたが, 介入試験によるエビデンスがないことから,厳格な生活習慣の修正にとどめることになりました。 これを実施したうえでも,血圧値が高血圧レベルへ,あるいは血糖値が糖尿病レベルに上昇した場合に薬物治療を行うことを, 初診時の高血圧管理計画の図の欄外に脚注として記すことでなんとか調整いたしました。 この点が少しこみ入った理解しにくいところになりました。
松岡 メタボリックシンドロームについては,血圧基準は 130/85 mmHg 以上です。 しかし,血圧が 130/85 mmHg の場合,降圧薬治療を開始できないことが,日本の保険医療制度の問題点です。 それが,この問題を複雑にしたように思っています。
荻原 たしかにガイドライン作成にあたっては保険診療との兼ね合いもありますね。 高血圧の定義をもう少し弾力的にしたほうがよいという意見もありましたが,JSH 2009 はそれに近い記載も出てきてはいます。
楽木 保険診療との整合性については苦労したところがたくさんありました。 ガイドラインはあくまで,現状における最善の考え方をベースにして, そのうえで保険診療が適用可能な範囲を選んだと感じています。 その結果,脚注が付いて複雑な感じがしますが,基本的な事項は表中に含まれているので, 実地医家の先生方には実施しやすくなっていると思います。
保険診療の枠内でどうすべきか,高血圧の定義をどうしていくのかについては, 今後議論していくべき内容で,提言のひとつにもなっていると感じています。
荻原 具体的な降圧目標,治療開始時期などについては,エビデンスがまだ不十分だと思っています。
荻原 一般の実地医家の方々に注目されるのは薬物治療かと思いますが, どのように変更されたのでしょうか。
松岡 SH 2009 では,主要降圧薬からα遮断薬が除外され, Ca 拮抗薬,アンジオテンシン II 受容体拮抗薬(ARB),アンジオテンシン変換酵素(ACE)阻害薬,β遮断薬,利尿薬の 5 種類になりました。また,β遮断薬の扱い方で議論がなされました。 なぜなら,イギリスのガイドラインは,β遮断薬を第一選択薬から外しているからです。ESH−ESC 2007 には残ってはいますが,種々のエビデンスから,他の降圧薬より脳卒中発症の抑制効果が少し劣ることが懸念されました。 最終的には,JSH 2009 では残すことになりました。
Ca 拮抗薬とレニン・アンジオテンシン(RA)系阻害薬には変更はありません。 利尿薬も第一選択薬として残っていますが,前回同様,少量投与を原則にしています。
併用療法については,薬理作用の異なる降圧薬の併用は降圧効果を高め, 副作用を抑える,あるいは減少させることが明らかになっています。それで,中等症以上,今回から II 度高血圧という表現に変わりましたが,II 度以上であれば最初から併用を考慮してよいという記載になっています。
特に,Ca 拮抗薬と RA 系阻害薬,あるいは RA 系阻害薬と利尿薬という併用が強くすすめられています。 利尿薬とβ遮断薬の併用は,JSH 2004 では積極的に実施してよいという位置付けでしたが, インスリン抵抗性に及ぼす影響や,ASCOT(Anglo−Scandinavian Cardiac Outcomes Trial)や LIFE(Losartan Intervention for Endpoint Reduction in Hypertension)試験のサブ解析などの結果から,他の併用療法よりもイベント発生の抑制効果が弱いと考えられるので, 積極的には行うべきでないとされました。特にメタボリックシンドロームでは,併用しないほうがよいとされています。
菊池 欧米では,メタボリックシンドロームを伴う患者にはβ遮断薬を使用しないとする見解が主流になっています。この点が作成委員会でも議論になりましたが,β遮断薬すべてが必ずしも一様の作用を示すわけではありません。β遮断薬のなかでもアテノロールには,メタボリックシンドローム例には ACE 阻害薬や Ca 拮抗薬に比し有用性が劣るとのエビデンスがあります。 しかし,β遮断薬のなかには,インスリン抵抗性を改善するものや,微量アルブミン尿を伴う 2 型糖尿病患者のインスリン抵抗性を改善させ,アルブミン尿を減らすことが示されている抗酸化作用の強いβ遮断薬もあります。 それで,個々の患者の病態とβ遮断薬の種類とを考慮し使用してもよいのではということで, β遮断薬も選択肢として残されました。
さらに,慢性腎臓病(CKD)を伴う患者では降圧目標の達成率が非常に低く,現状では 20%に達していません。 JSH 2004 では第一選択薬は RA 系阻害薬で,十分な降圧が得られないときには,Ca 拮抗薬,利尿薬という順で併用,となっておりました。しかし,日本では利尿薬の使用頻度があまりに低いので, 作成委員会全体のコンセンサスとして,第二選択薬の記載順を利尿薬,Ca 拮抗薬という順に変更になりました。
これは,日本腎臓学会・日本高血圧学会が『CKD(慢性腎臓病)診療ガイド 高血圧編』を作成するときにも, かなり議論になったところです。
楽木 日本では現在,Ca 拮抗薬をベースに併用療法の比較検討を行っている COPE 試験(Combination Therapy of Hypertension to Prevent Cardiovascular Event Trial),さらに ARB をベースに併用薬として利尿薬と Ca 拮抗薬を比較検討する COLM(Combination of OLMesartan and CCB or Diuretic in High−Risk Elderly Hypertensive Patients Study)が進行しています。 いずれも日本高血圧学会が後援をしている試験で,それらの試験結果が加われば,次回の改訂につながり,ガイドラインに反映されると思います。
荻原 合併症を伴う高血圧について,簡単に改訂点をご説明いただけますか。
楽木 糖尿病合併の高血圧での重要な変更点は, Ca 拮抗薬が第一選択薬から第二選択薬に移ったことです。 これは,ACE 阻害薬や ARB のエビデンスが非常に良かったことに基づいています。
CKD を合併する高血圧に関しては,先ほどの第二選択薬の記載順の変更以外には,大きな変更はありません。
脳卒中合併の高血圧については,急性期あるいは超急性期に関する指針が,JSH 2004 と若干変わっています。 これは,ガイドライン変更の世界的な流れがあり,降圧目標や治療開始時期を世界基準とすり合わせた結果です。
高齢者高血圧に関しては,第一選択薬,降圧目標には変更はありません。 ただ,II 度以上の高齢者(75 歳以上)の降圧目標について,議論されました。 というのは,JATOS(Japanese Trial to Assess Optimal Systolic Blood Pressure in Elderly Hypertensive Patients)によって,140〜160 mmHg の降圧目標群と,140 mmHg 未満の降圧目標群で,心血管疾患を含めた予後に差がないという結果が出たからです。 その解釈を詰めたところ,150/90 mmHg 未満を降圧目標にしてもよいという考え方も成り立つので,それを積極的に支持するというより, 暫定あるいは中間目標として,より慎重に患者の降圧を心がけるという意味合いで記載しました。
荻原 その点については,HYVET 試験(Hypertension in the Very Elderly Trial)や CASE−J(Candesartan Antihypertensive Survival Evaluation in Japan)のサブ解析などと矛盾のない成績だったと思います。 高齢者では議論がかなりありましたね。
菊池 たしかに率直,かつ白熱した議論となりましたが,最終的には, 大きな求心力が働き,かつガイドライン作成中に報告された直近のエビデンスを総合し,JSH 2009 では,妥当なところに落ち着いたと思います。
それから,心疾患との合併に関して,JSH 2004 では虚血性心疾患を合併する高血圧の降圧目標があまり明確ではありませんでした。JSH 2009 では,心筋梗塞後の降圧目標が 130/80 mmHg 未満と明記されたことは大きな変更です。
米国で 2007 年に発表された COURAGE(Clinical Outcomes Utilizing Revascularization and Aggressive Drug Evaluation)研究では,心筋梗塞後を含む安定した冠動脈疾患をもつ患者を対象にして, PCI(経皮的冠動脈インターベンション)と至適な内科的治療を組み合わせた群と,至適内科治療のみの 2 群で心血管イベント抑制効果が比較されました。その結果,両群とも血圧値が 122〜124 mmHg まで降圧され, イベントの発生率や有害事象の増加もなく,J 型カーブ現象も示されませんでした。至適血圧レベルについての唯一の前向き試験である HOT(Hypertension Optimal Treatment Study)や,後向きではありますが,急性心筋梗塞後を対象とした VALIANT(Valsartan in Acute Myocardial Infarction)などのデータも議論された結果,JSH 2009 でも欧米と同様に 130/80 mmHg 未満に落ち着いたと考えています。
荻原 ただ,エビデンスがまだきちんとそろわない他の心疾患については, 今後詰めていかなければならない問題だと思っています。