■治療学・座談会■
転換期のアルツハイマー病
出席者(発言順)
(司会)葛原茂樹 氏(国立精神・神経センター病院)
井原康夫 氏(同志社大学生命医科学部神経科学分野神経病理学研究室)
岩坪 威 氏(東京大学大学院医学系研究科神経病理学分野,薬学系研究科臨床薬学教室)
本間 昭 氏(東京都老人総合研究所認知症介入研究グループ)

現在:増加する患者への対応

■脳血管性認知症からアルツハイマー病へ

葛原 ほんの 20 年前には,脳血管性認知症が約半数で,AD ははるかに少ないと言われていましたが, 今は逆転どころか,AD が認知症の多くを占めるとされています。本間昭先生,実際の疫学的なデータはいかがでしょうか。

本間 厚生労働省が発表した数字では,65 歳以上の人口での認知症の有病率は 7.6%です。 それを基に将来推計が出ていて,仙台市立病院精神科部長の粟田主一先生の研究結果では,約 8.5%でした。

葛原 4%台とされていたこともありますね。

本間 それは,在宅患者だけの推計です。今後 25 年程度で認知症患者はおよそ 450 万人になるという予測もあります。 ただ,AD と脳血管性認知症の比率までは出ていませんが,おそらく 6〜7 割を AD が占め,75 歳以上では 5 人に 1 人になると推測されています。AD は非常に一般的な病気だと言えます。

葛原 AD の予備軍は,良性の老人性健忘症ではなく,健忘型の MCI だと思われます。実際には「どこにも異常がない」, 「もの忘れは年のせいだと言われている」という方にも AD は非常に多いようです。

本間 プライマリーケア医では AD の診断はなかなかつきにくいということもあると思いますが,“under recognition”,“under diagnosis”そして“under treatment”という 3 つの under が重なっているという問題があります。そこで,それらを改善しようという動きもあり,2008 年 4 月から認知症に関する診療報酬が改定されています。また,ADNI などの結果しだいでは,プライマリーの段階での診断がしやすくなると期待されています。

■早期診断が可能になる診断基準への期待

葛原 これまでの診断基準は,一見して AD とわかり,誤診など起きそうにないレベルにまで進行してからの診断でしたが, これからは早期診断を可能にする診断基準が出てくることが期待できそうです。

本間 今までは症候に基づいた診断基準で診断せざるをえなかったわけですが,プライマリーケアの先生方には不得意とされる疾患であったと思います。

葛原 確かに AD は,初期では検査がすべて正常というのが特徴ですからね。

本間 たとえば,「最近もの忘れがひどくなったので,頭に関係することだからとりあえず脳外科に行ってみよう」というケースはよくあります。 脳外科では MRI を撮られますが,異常はみつかりません。「どこにも異常がありません。年のせいでしょう」と言われ,安堵します。 しかし,約 1 年後に症状が顕在化し,それで初めて AD とわかることもあります。

葛原 日本は,検査をする前に病歴や臨床症状から確実に診断する,というトレーニングが十分ではない傾向があります。 これは,米国の医療と大きく異なる点です。わが国の医療費は医療保険でまかなわれており,その功罪でしょうか。検査機器が多く検査が簡便でも,読影の指導と質が伴っていません。

本間 日本では診断に際し,CT 検査がかなり使われていますが,一定の条件を考慮すると,不要な例にも実施されているようですね。

葛原 問診で診断がつくケースも多いです。

井原 非常に軽度な萎縮病変の特徴に関してはずいぶんと整理されてきており,特に MCI は顕著です。 簡単な解説を読めば,ある程度はピンとくることもあると思います。また,以前は完全に除外診断でしたが,DSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders:精神障害の診断と統計の手引き)や ICD(International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems)−10 などが出て,診断法もかなり進歩してきました。

■アミロイドイメージングへの期待

葛原 一般的に普及するにはまだ時間を要すると思いますが,アミロイドイメージングとよばれる PET での検査が国内でも利用できるようになりました。 これは,今まで CT や MRI でとらえにくかった早期の AD も把握できるとされています。その有用性はいかがでしょうか。

岩坪 アミロイドイメージングは,PET のプローブとして,脳内に蓄積したアミロイドに結合するような低分子を用いて,その蓄積を診断するものです。 2004 年に米国で発表された新しい方法で,非侵襲的な AD の病理診断法という側面からも世界中に広まっています。 米国では数十施設,日本では 5 施設ですでに実施されています。 J−ADNI でも,アミロイド PET を広める準備が進んでおり,2009 年までには少なくとも 11 の施設で可能になる予定です。

 これまでの確定診断は死亡後の剖検による病理所見で行われていて,AD なら 100%,Aβの蓄積が認められるわけです。MCI 患者でもおよそ 6 割に蓄積がみられたというデータや,健常者でも一部にみられるというデータもあるので,さらにフォローアップは必要ですね。

■求められる病診連携

葛原 認知症医療で特に問題となっている点について,お話しいただけますか。

本間 非常に大きな問題は,外科的な身体合併症のある認知症患者に急性期病棟でどのように対応したらよいか,ということです。 特に高齢の入院患者が多い総合病院の課題となっています。たとえば,夜勤の看護体制が十分ではなく,とても手が回らないといった状況にあります。

葛原 認知症に限らず精神科の患者さんが骨折や急性腹症になると,現状では通常の病院は受け入れにくいです。 観察の必要な患者が対象ですから,マンパワーは大きな問題となります。

 また,認知症についての適切な理解は,プライマリーケア医にとっても必要かと思いますが,いかがでしょうか。

本間 プライマリーケアでは,特に患者の家族からの相談には,「年のせいだ」とひと言で片付けずに, まず耳を傾け,検査が必要なときにはどこに紹介すべきかの情報をきちんと把握しておいてほしいと思います。

葛原 AD の患者さんは非常に「とりつくろい」が上手で,患者の話と家族の訴えの間には差があることが多いですからね。

本間 ええ,できるだけ過小評価をしないことが重要です。また,専門医には早期診断,それから家族への対応も含め, ケアスタッフへの指導などが求められると思います。そして,そういう専門医を養成していくのは,学会の任務でもあると思っています。 さらには,紹介された患者さんを専門医からプライマリーケアに戻せるようなシステムを整える必要があると考えています。 そうなれば,病院の外来がパンクするという事態には至らないかと思います。

葛原 今の病院崩壊を避けるためにも,専門医で検査,所見,診断,対処法を担当してプライマリーケア医に戻し, その後も両者が分担してフォローしていく,この流れが重要です。

井原 公的な機関などが,行政的な面も含めて対処法をアピールしていけば,かなり改善されるのではないでしょうか。

本間 まずは,「ここに住んでいますが,どなたか良い先生はいませんか」という,単純な質問から解決していけばよいのです。

葛原 それは現状でも十分にできます。

■在宅ケアの鍵となる家族への指導

葛原 AD 患者では,たとえば行動障害などに対するケアの問題が出てくると思います。

本間 行動面での問題が深刻になってくる例は,早期発見されていない患者に多いようです。エビデンスがまだないので断言はできませんが, 健忘くらいの早期から治療が開始され家族もきちんと関わっている患者たちは,行動上の変化が現れにくい傾向にあるという印象をもっています。

葛原 あらかじめ,家族に「もの盗られ妄想症状などが現れても,病気のせいだと割り切って腹を立てないでください」と説明しておくと,うまく対処してくださいます。 やはり“early recognition, early diagnosis”がキーになってきますね。

本間 はい,事前に適切な説明をしておくことはとても重要で,それにより家族が振りまわされてしまうことも減るのではないでしょうか。 しかし,薬物を使わざるをえない場合も出てきます。これはまだ日本では,かかりつけ医対象の研修ではあまり具体的な内容にはふれられていません。 日本で保険適用のある薬はありませんが,一定の薬物使用のガイドラインはすでにカナダやイギリスにはあります。ですから,学会などが中心になり,きちんと整備していくべきだろうと思います。

葛原 非薬物療法として,音楽療法や行動認知療法などを推奨する動きもあります。実際にはいかがでしょうか。

本間 EBM で評価できるような結果はまだないとは思います。有効であれば非常に役に立つと思います。 おそらく音楽にしても何にしても,患者さんと十分に接したうえで行われるはずですから,医療従事者が接する行為自体が,患者さんの精神状態の落ち着きにつながるのではないかと思います。

葛原 症状が進行すれば,在宅ケアをあきらめざるをえないときがくると思いますが,その決断の際にどうアドバイスされていますか。

本間 本当にケースバイケースで,医療の提供者側からの一方的な判断ではなかなか難しいでしょう。 病気に対する家族の理解度,受け入れ体制の程度しだいで,まずは家族との相談になると思います。一概には言えませんが,食事摂取が困難になり始めた時点はひとつの目安になります。

葛原 患者が暴力的になると,在宅ではなかなか難しいのではないでしょうか。逆に,家族が患者に暴力をふるうこともありますが。

本間 確かにそうですね。ただ,医師とうまく連携できていれば,ある程度コントロールできる場合もあると思います。

葛原 事前に,そのときの対応を検討しておくことも重要ですね。施設の受け皿として,グループホームなどは一時期増加しましたよね。

本間 現在も鈍化はしていますが非常に増えていて,すでに 1 万施設を超えていると思います。 ただ,現状では地域密着型のサービスのひとつで,2007 年 4 月からはその自治体の患者以外は利用が不可能になりました。

葛原 そういう点では,認知症の介護も地域と無関係にはいられないということですね。

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