■治療学・座談会■
転換期のアルツハイマー病
出席者(発言順)
(司会)葛原茂樹 氏(国立精神・神経センター病院)
井原康夫 氏(同志社大学生命医科学部神経科学分野神経病理学研究室)
岩坪 威 氏(東京大学大学院医学系研究科神経病理学分野,薬学系研究科臨床薬学教室)
本間 昭 氏(東京都老人総合研究所認知症介入研究グループ)

未来:根本治療法と予防法の確立に向けて

■すでに開始された新薬の治験

葛原 追現在の治療法では,どのような症状改善が得られますか。

岩坪 日本で AD に適応が認められている唯一の薬剤は,塩酸ドネペジルです。これは本質的には対症療法薬で,アセチルコリンの分解を抑制し一定の効果は認められますが,パーキンソン病の補充療法などに比べると,期待に見合う強い効果は得られていません。

 いま最も注目されているのは,Aβを減らす根本治療薬です。Aβの蓄積は単なる結果ではなく病因だとされているので,その産生や蓄積を抑制する作用が期待されています。現在,米国で実施されているセクレターゼ阻害薬の第 II 相試験がほぼ終了し,さらに第 III 相試験で効果の解析が行われようとしている段階です。他の薬剤も試験が行われようとしています。

葛原 それは NSAIDs(非ステロイド性抗炎症薬)のようなものが含まれていますか。

岩坪 Aβには Aβ40 と Aβ42 の 2 つがあり,Aβ42 のほうがアミロイドになりやすく,AD の発症に深く関わるとされています。γセクレターゼは Aβ前駆体蛋白質の C 末端を切断する酵素で,これを阻害するのがγセクレターゼ阻害薬です。ところがこの阻害薬は,腸の粘膜や血液の再生・発生に関わる正常な機能まで抑制してしまう作用が懸念されています。一方,NSAIDs が Aβ42 の産生を特異的に抑えることが明らかになり,その異性体の一種である R−フルルビプロフェンの治験が行われています。

 免疫療法も臨床応用が期待されている治療法のひとつです。免疫療法により Aβに対する抗体をつくることで,脳内の Aβの蓄積を抑制する,あるいは蓄積する以前の Aβを減らせることが明らかとなり,予防あるいは症候改善の効果が期待されています。しかし,ワクチン療法の治験で初期に脳炎が発生するなどの副作用が現れ,現在は,エフェクターであるヒト型抗体の輸注療法の治験が米国で行われています。

葛原 近々,日本でも始まりますね。

岩坪 世界でも 6,7 種類の試験が行われていると思いますが,国内でも第 I 相試験の一部はすでに動き出しているようです。

葛原 組み換え遺伝子法で作ったものですか。

岩坪 そうです。Aβに対するネズミでの動物実験で非常に効果があったものについて,抗原決定部位を採取し,それをヒト型抗体に組み込んだリコンビナント抗体です。結果はまだ発表されていませんが,2008 年の夏には,第 II 相試験のデータが公表されると思います。

 現在,アミロイドカスケード仮説にのっとってさまざまな試みが行われています。ただ,これが基本的に正しいのか,あるいはまだ乗り越えるべきハードルがあるのか,おそらくアミロイド免疫療法の結果で明らかになってくるのではないかと期待しています。

■運動に認められた予防効果

葛原 井原先生は,予防も視野に入れたライフスタイルの提案など,いろいろとご執筆されておられますが,詳細をお話しいただけますか。

井原 疫学的分野は専門外ですが,市民講座などは身近なテーマを要求されるので,調べてみたところ,多くの大規模な前向きコホート研究が行われており,疫学調査はかなり進んでいます。具体的なデータを紹介すべき段階にきていると思います。そのなかで“運動”はだれにでも推奨できる予防法だと言えます。疫学調査結果にはただちに反対論文が出される傾向がありますが,運動に関しては唯一反論が出ていません。

葛原 どの程度の運動量ですか。

井原 “気持ち良く運動する”ことが第 1 です。

葛原 日本人はまじめだから,一生懸命になりすぎますよね。

井原 それは注意すべき点です。参考となる具体的なデータは,ハワイの日系二世の研究で,“毎日 2 マイルの散歩”です。 毎日,しかも 2 マイルというのは非常にハードルが高いのですが,それで発症率はまったく異なってきます。おそらく将来的にもこれは変わらないでしょう。

■明らかになりつつある生活習慣との相関

葛原 脳血管性認知症と AD は,どちらのリスクも非常によく似ており,たとえば欧米で魚を食べない人, あるいはコレステロール値が高い人は,脳血管性認知症だけでなく AD の発生リスクも高いという研究結果があります。それについては,いかがでしょうか。

井原 それらのデータは崩れていないと思います。最初に出されたのは,1997 年の大規模な前向き研究であるロッテルダムスタディ(The Rotterdam study)の結果です。 これにより,動脈硬化の進展度が AD の発症リスクに非常に相関していると示され,多くの関心をよびました。

葛原 私も驚きました。週に 1 回魚を食べれば,かなり改善するというデータは,日本人では多くの人が該当しますね。

井原 加齢というリスクが最も大きいとは思いますが,食習慣もリスクのひとつです。

葛原 複合的な問題ということですね。現在の“メタボリックシンドローム退治”なども AD 予防に効果がありそうですね。

井原 オッズ比が 1.5 倍というデータもあります。市民講座では,「将来のことを聞いても仕方がない,いま何をすればよいのか教えてほしい」と,よく質問されます。 そこで,「生活習慣病を予防することはすべてにおいて良いことです」と回答しています。

本間 運動は,生活習慣病のみならず AD の予防にも効果が認められていますが,それをふだんの生活でどのように習慣づけるかという課題もあります。

井原 そこが非常に難しいところです。生活習慣を変える,つまり行動変容は,以前の習慣をなくすことと,ほぼ同義になりますから。

本間 ただ,それができないと,疫学結果のフィードバックが難しいのではないでしょうか。

井原 実際には,臨床症状が出てくるまでの 30 年間に,アミロイドは徐々に蓄積されています。 認知機能は一見正常ですが,本来はこの初期段階から治療を開始すべきなのです。蓄積の程度は健康診断などで,血液からある程度スクリーニングできます。 所見があれば,MRI やアミロイド PET で Aβを自分で認識できます。

葛原 データが自分の目で“見ることができる”,その意味はかなり大きいですね。

本間 唾液や尿でもわかるとよいのですが。

岩坪 生活習慣病の LDL コレステロールと同じように簡便に測定できるのが理想的ですね。

井原 予防効果に関しては,キャンペーンなどで「こういう結果がある」と,繰り返し具体的に述べていくしかないと思います。

■重要になる認知症の鑑別

葛原 AD 以外の認知症,レビー小体型認知症(Dementia with Lewy Bodies:DLB)について,ご説明いただけますか。

岩坪 DLB は,日本では小阪憲司先生(横浜ほうゆう病院)が最初に臨床病理学的に発表され, それ以降,臨床的な特徴がかなり明らかになってきました。 今では変性性認知症で,ADの次に多いとされ,重要視されています。

 認知機能障害の特徴として,非常に変動が大きいことがあげられています。 そして,パーキンソン病との連続性,共通性があり,視覚性の幻覚が多く,自律神経障害も生じるなど,いくつかの特徴的な症状があります。 AD に比べると,塩酸ドネペジルの効果が高いとされており,その検討が国内で行われると聞いています。

葛原 AD 症状を呈する患者であっても病理学的には DLB があるようですね。 その際,抗精神病薬を使うと,とたんにパーキンソン病症状が出現して寝たきりになり,逆に,パーキンソン病治療薬のレボドパなどを用いると, 幻覚と妄想で介護が難しくなります。ある論文には,投薬により“mad”(狂気)になったり“immobility”(寝たきり)になったりすると書かれていました。 薬物の処方にあたっては,それくらい細心の注意を払うべき疾患だということですね。

岩坪 病理からみると,AD のなかで 25%程度が DLB を発症しているようです。 パーキンソン病患者を 7 年間程度フォローすると半数以上に dementia が現れます(PDD)。これは本質的には DLB と同じ病態で,内科でパーキンソン病との診断で観察していた患者に, 気づいたら認知症が出ていたというケースも多いようです。パーキンソン病を長く患っている高齢者も増えていますので,留意が必要です。

葛原 前頭側頭型認知症(frontotemporal dementia:FTD)は,画像で比較的,診断がつきやすいとされていますが, 異常行動のために非常に対応が困難になる症例もあります。

本間 最大の特徴は,他の認知症の初発症状である記憶障害がほとんど現れないものが多いということです。 初発症状としてはむしろ,社会的なルールを無視するような行動上の変化が多く,発症時期が比較的若いことから,認知症の疑いまでに至らないケースが多いようです。

 先日の講演会でも,FTD の患者で「ある自治体の課長さんが万引きをして懲戒免職になった」という話を聞きました。 免職後に“ピック病”という診断がついたのですが,裁判で勝訴でもしないかぎり,懲戒免職は撤回できません。 また,それまでまじめだった人が電車内で痴漢をして職を失ってしまうというケースが,40〜50 代であります。

葛原 確かに前頭葉の障害は行動障害を起こします。まじめだった人が急にセクシャルハラスメントや万引きをして初めて病気に気づかれることも多いようです。 側頭葉の障害では,失語症のように言葉の意味の把握が鈍くなります。まずは画像を撮って前頭葉,側頭葉の萎縮の有無を確認すべきです。

本間 画像はただちに撮ってほしいですね。また,疾患により行動変化が生じることがあるという認識を, 少しでも関わりのある立場の人にはもっていただきたいと思います。

葛原 逮捕や免職後では遅いですから,しかるべき対応をとることは,患者の人権を守るうえでも重要だと思います。

 本日は,重要な転換期を迎えている認知症,特に AD について貴重なご意見をうかがいました。ありがとうございました。

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