寺本 スタチンは 1989 年に上市されましたが,スタチンの動脈硬化予防における役割について山田先生,レビューしていただけますか。
山田 動脈硬化症に関わる主要な脂質はコレステロールですから, コレステロールを低下させることが将来の動脈硬化性疾患を予防するという点で,当初からスタチンは大変重要だろうと予想されていました。
スタチン以前の食事療法やフィブラート系薬剤,コレスチラミンにより総コレステロールで 20%前後の低下率が得られてはいましたが,総死亡は抑制されておらず, コレステロールを低下させることが虚血性心疾患などの動脈硬化性疾患を予防,治療していくうえで本当にメリットがあるのかという議論が長く続いていました。
スタチンの登場により,スタチンは総コレステロールを 20%以上,LDL−C を 30%以上低下させることが明らかとなり, コレステロールの低下のみで虚血性心疾患の予防に有効性があることが示唆されました。 同時に,4S や WOSCOP 研究では,総死亡も同時に抑制するという結果が出され, コレステロールの治療をすることが本当の意味で患者のメリットになることがやっと証明されました。 しかも,今までの薬に比べると投与回数が少なくてすみ,コンプライアンスが高いこともあって,あっという間に世界中で使われるようになりました。
薬物療法では,抗生物質が大変幅をきかせていた時代がありましたが, ちょうど生活習慣病の予防薬に注目し始めた時代でもあったために, スタチンはいま日本では最も売れている薬剤の 1 つになりました。 製薬業界への経済効果はたいへんなものがあったわけですが,今後は患者へのコスト・ベネフィットについても大いに議論が必要だと思います。
寺本 スタチンによって高脂血症のエンドポイントである虚血性心疾患が抑制でき, 総死亡を抑制できるということは,おそらく安全性が高いことを意味するのですが, ほかのことをあまり引き起こさないで虚血性心疾患による死亡を抑制したのですから,当然死亡率も減少したのですね。
寺本 今さかんに EBM がいわれていますが, 高脂血症治療の有効性の証明の過程は EBM の重要性を示したものだと思いますが,いかがですか。
山田 まさに今までの高コレステロール治療の歴史を見ているようです。 コレステロールを下げることに意味があるとはいわれていたものの,何か漠然としていたわけですよね。 それがマススタディにより,コレステロールを低下させると虚血性心疾患による死亡率も有意に下げることが示され, 安全性も明らかにされた。そこで,効果が何だかわからないけれども使っていたというその他の薬剤についても, これはやはり見直さなければいけないという機運が,いろいろな分野で起こってきたのです。 すなわち高血圧の分野,循環器疾患領域,糖尿病領域でもやはりエビデンスを積まなければいけないというようなことになってきた。
寺本 EBM の積み重ねはガイドライン作成においても重要な意味をもっていますね。
寺本 現在までに行われたわが国初の大規模観察研究は J−LIT ですが,そこから何が得られたでしょうか。
多田 わが国の高脂血症患者を対象にシンバスタチンを 6 年間投与して, そのアウトカムをみる前向き研究として行われた J−LIT は最近終わったばかりです。J−LIT はコホートスタディですが,さまざまな点を教えてくれました。 その第一に,実際日本人がどのぐらい冠動脈疾患を発症するか。従来よりアメリカ人と比較して 1/5〜1/3 といわれておりましたが, J−LIT では LDL−C の値で標準化するとだいたい 1/4 ぐらいということがわかりました。
山田 J−LIT で出された発症率から高脂血症の患者数をみたとき,ちょっと少なすぎるのが気になります。 日本はアメリカの 1/4 ぐらいなので,高脂血症だと相対危険率では 2 倍以上にはなるはずで,そうするともう少し数が多くなければいけないというのが私の印象です。
寺本 J−LIT の結果を踏まえて,先ほど山田先生からもご指摘がありました重要な問題,コスト・ベネフィットについて多田先生のほうから教えていただけますか。
多田 J−LIT のデータは,スタチンの使用によってどの程度冠動脈疾患の発症もしくは死亡が抑えられるかを教えてくれます。 現在わが国におけるスタチンの市場は年間 3000 億円ぐらいですが, J−LIT では 2000 万人に投与して LDL−C を 140 mg/dL 以下とすると 1 万 2000 人ぐらいの患者の冠動脈疾患発症を抑制できるという成績が出ています。 それをどういうふうに考えるか。以前報告された横山先生(名古屋市立大)の成績ではわが国における高脂血症が原因と目される冠動脈疾患死が大体 1 万人ぐらいとありますが, これは交通事故による死者とほぼ同数です。 比較すると交通行政には莫大な金額を使っています。 医療はもともと社会保障制度の一環であると考えてきたわが国では,医療をコスト・ベネフィットという考え方で捉える慣行があまりありませんでした。 すなわち,その尺度を何に求めるかという議論が十分になされていません。 個人にとって,自己の生命は唯一かけがえのないものであります。 一方,一時問題視された医療亡国論からの脱却を目指し,1980 年以降医療費の伸び率は毎年抑えられ,平成 14 年度(2002)診療報酬は初のマイナス改定となったわけです。 そのような社会情勢の中,コスト・ベネフィットを考えて,限りある資源を有効に用いることは大切なことです。
疾病予防にはお金がかかりますが,介護されて過ごす時間を短くできる効用もあります。 対効果をみる指標として,アメリカでは“cost per quality adjusted life year”という考え方があります。 例えば禁煙すれば年間 1300 ドルの支出で冠動脈疾患の発症を抑制できる, 生活療法によるコレステロール低下では,3200 ドルの支出で抑えられる, スタチンを二次予防に使った場合は 1 万 2000 ドル,全く冠動脈疾患がない患者にスタチンを使った場合は大体 2〜4 万ドルということになります。 そうした試算をもとに分岐点をどこに置くかが決まってきます。
アメリカではこの分岐点を年間 5 万ドルに置いています。 アメリカと比べわが国の冠動脈疾患発症率は 1/4 程度ですから,わが国におけるスタチン療法のコスト・ベネフィットは低いということができます。 これはやはり何を尺度にするかであり,たとえば無症候性の 40 歳男性の心電図を取ることは日本では検診時に一般的に行われていますが, この対価はアメリカでは 12 万 4000 ドルの支出と算定され,これは非常に高価です。 先に話しましたように予防というものはお金がかかるものですが, 有効性が発揮できるよう予防のために行う行為において,その対象をしっかり見極めることが前提条件として重要です。 その意味ではスタチンを投与してコレステロールを低下させる行為は,少なくとも冠動脈疾患発症を予防するためには,その有用性が確立されているといえます。
山田 要するに,ベネフィットのないローリスクの患者に使うとコスト・ベネフィットが落ちるということです。 虚血性心疾患の発症では遺伝的な人種差は少なく,生活習慣の影響がかなり強いとされていますが, ハイリスクの患者をきちっと選んでやれば,コスト・ベネフィットは薬価だけの問題になります。 そういう意味では,ハイリスクの人たちを予防していくときに,あまりマスでみたコスト・ベネフィットだけに目が行ってしまうとちょっと議論がずれてしまうと思います。 ハイリスクな人はハイリスクなわけで,それは世界全体どこでも同じということはおさえておかねばいけないことです。
多田 その点は非常に大事な点だと思いますね。 最近,コレステロールはある程度高くてもいいんだという考え方がマスコミに取り上げられていますが, やはり家族性高コレステロール血症や家族性複合型高脂血症といった病態をもった患者を私どもは見逃さないでしっかり治療することが大事だと思います。
寺本 コスト・ベネフィットということは今までほとんど医療分野では議論されなかったのに,最近盛んになってきた。 それはおそらくいろいろなエビデンスが出てきたことと,高血圧用薬や抗高脂血症薬など確実に虚血性心疾患を予防できるような薬剤が出てきたことによります。
ある治療をしたときにどれだけの人たちが救われるかは,医療経済の点から重要な問題であり,そういう情報を与える要因になったスタチンという薬の意義は高く評価できます。
寺本 最近の大規模予防試験から,スタチンが本来持っているコレステロール低下作用のほかに,多面的効果があることが示唆されていますが, それについて山田先生からご説明ください。
山田 スタチンも最終的には動脈硬化を抑制するための薬ですから,コレステロールを下げる以外の, 例えば血管壁を構成する細胞などへの効果が検討されていました。 CARE,WOS などにおいて同じぐらいのコレステロール値の患者を比較してみると,スタチン投与群のほうがプラセボ群よりイベントが少ないことがわかり, コレステロール低下効果以外の効果が示唆されました。 また,メタアナリシスでは同じコレステロール低下薬の中でスタチンとそれ以外の薬の低下効果を比較していますが, やはりスタチンのほうが有効性が高いという成績が出ています。 そういうことから,どうもスタチンにはいわゆるコレステロール低下作用以外にプラスアルファのポジティブな効果があることが明らかになってきて, 盛んに皆さんおもしろがっているという状況です。
寺本 多面的効果では血小板に対する作用,内皮細胞に対する作用,平滑筋に対する作用などがあげられていますが,それに対するアプローチは何かなされていますか。
山田 やはりきちっと証明するには,EBM を確立しなければいけないわけで,それぞれの効果についてスタディが組まれなければなりません。 骨粗鬆症に効くかもしれないということで,現在骨粗鬆症患者に対してスタチン投与群と非投与群で比較しています。 また,痴呆患者に対してもスタチン投与が試みられていますが,いずれにしても試験対象を厳密に選別して効果をみていくことが大事です。
ただ,血管壁のいろいろな細胞への作用については,なかなかそこまで試験できませんから,それはある意味で参考になる効果ということでいいのではないでしょうか。
寺本 薬剤の作用機序がわかっていると,それに基づいた効果は簡単に理解できますが, それに基づかない,付属してきたような作用は相当気をつけて見ていく姿勢が必要です。 場合によってはそこに落とし穴があるかもしれないということを一応頭に置いておくことです。
山田 スタチンに多面的効果があっても, やはり一番はコレステロールの低下作用だということを忘れてはいけない。
寺本 私もそう思います。
多田 コレステロールが低いこと自体が,プラークを安定化させることをはじめ, さまざまな効果がある。例えば,刺激に対する血管内径の狭小化を予防するとか,血管内皮機能を保持する。 また,抗血栓,抗酸化,抗炎症作用などを発揮することもあるわけです。
これらの作用はスタチンの多機能性の項目としてあげられ,現在市場に出ているスタチンは個別に培養壁細胞, さまざまな動物種の血管組織を用いてこの多機能性の有無を検討した報告がなされています。 現在のところ付加価値としての理解に留まり,臨床的にいずれを用いるべきかのスタチン間の相違はまだ見えてきません。
寺本 二次的な作用,要するに本来の作用を介したかたちのものですね。 このような多面的効果については,その可能性は常に念頭に置きつつも,それに流されてはいけない。 つまり本当のスタチンの作用であるコレステロール合成抑制を軸に考えていく必要があるということですね。
寺本 先ごろ,スタチンが高感度 CRP を低下させるという前向き試験の結果が発表され,あれも陽性でしたが,抗動脈硬化作用に対してどうお考えですか。
山田 大規模試験においてプラバスタチン投与群のほうが CRP が改善されたというのは,おそらく正しいと思います。 ただ,個々の患者の CRP をみた場合,あまりはっきり動きが見えないのです。 ですから,CRP がスタチンで改善されたから動脈硬化が改善したといっていいのかどうかわかりませんね。 CRP をどうやって使っていくかを,ぜひとも CRP を研究している先生方によく考えていただきたいです。
寺本 やはり大規模試験の結果をそのまま目の前の患者に適用するわけにはいかない場合があります。 みんなが同じように動くわけではなくて,個々は個々で動く。 ガイドラインというのは基本的に大まかな枠組みを作るという点に意義があるわけで,大規模試験もそういった意味を持っているのではないかと思います。
多田 最近 EBM がとみに言われていますが,EBM は問題解決のための臨床手法の 1 つであり,本来の意味は目の前の患者が抱える問題を解決するため, これまで報告された大規模ランダム化対照臨床試験(RCT)成績など信頼できる成績を吟味しながら適用し,その成果をみながら治療していくというものです。 この目的に使いうるしっかりとしたデータが近年多く出てきましたし,そうしたデータは標準的治療方針としてのガイドラインの作成にも利用されるようになりました。 しかし,よいデータだからといって何が何でも患者に適用して満足するようでも困るわけで,患者にとってベネフィットがあるかないかの吟味が常に必要になってきます。
寺本 21 世紀になってエビデンスが出そろってきて,ようやくそれを使いこなす最初の一歩というレベルだというところでしょうか。