■治療学・座談会■
EBMの功罪
出席者(発言順)
(司会)豊岡照彦 氏 
東京大学医学部第二内科 教授,保健センター所長
松崎益徳 氏 山口大学医学部第二内科 教授
島本和明 氏 札幌医科大学第二内科 教授
寺本民生 氏 帝京大学医学部内科 教授

EBMにおける日本固有の問題点

■ 欧米のEBM基準は日本に適用できない

豊岡 試験を実施するにあたって,もし死亡率が1/10ならば,感度を上げるためには症例数を10倍に増やす必要があるのでしょうか。

松崎 心不全を例にとって話しますが,例えばアメリカFDAは, 心不全の有効な治療薬と認定するためには死亡率(mortality)を最重要課題にもってきていて,死亡率の改善効果がなければ有効な薬とは認めないと明記しています。 ところが,先ほど言ったように日本の心不全患者の死亡率はアメリカの1/10ほどですから,10倍の患者数を扱わなければ治験結果は出ないことになり, そうなるとこれはもう日本では心不全のEBMをつくる治験はできないというのと同じことになってしまいます。 ですから,欧米のEBMの採用基準とは違う別の基準が必要になります。これは心不全に限らず他の分野でもおそらく同じことがいえるかと思います。

 アメリカのFDAの基準とは別の基準というと,私はQOLの改善や心不全の悪化による入院回数の減少といった別のクライテリアを用いて薬効を評価してはどうかと考えております。

■ 日本には大規模臨床試験の成績がない

豊岡 島本先生はいかがでしょうか。

島本 高血圧で大規模な臨床試験をするとなると,当然,心血管系のイベントをどれだけ予防できるかという試験になります。 これは,当然ながら長期間みないと結論が出てこない。

 一方,日本で終了している試験はこれまでに3つしかありません。 1つはNICS(National Intervention Cooperative Study for the Treatment of Elderly Hypertensives)で,Ca拮抗薬と利尿薬で比較したものですが,対象はわずか400人で5年間です。 またGLANT(Study Group on Long−Term Antihypertensive Therapy)は2000人で行ったACE阻害薬とCa拮抗薬の比較試験ですが, 症例数は多いのですが追跡期間が1年で,なおかつオープンであり,ブラインド化していないという欠点があります。 もう1つはJ−MIND(Japan Multicenter Investigation of Antihypertensive Treatment for Nephropathy in Diabetes)という糖尿病患者を対象にした試験で,500例で2年間です。 いずれも十分な症例数,十分な期間とはいえません。ですから,そこから得られた結論も外国のものに比べると極めて不十分であると言わざるを得ないのです。

 このように,比較的やりやすい高血圧と高脂血症を対象にした大規模臨床試験ですらこういう状況ですから, 日本においては大規模臨床試験がほとんど行われない,またできにくい環境があるのだろうと思います。

■大規模臨床試験の実施が困難な6つの理由

島本 国立循環器病センター前総長の尾前先生が,「内科」の「高血圧up to date」(1998 ;81 :4−9)の疫学研究と大規模臨床試験を基にした降圧指針の中で, 日本において大規模臨床試験の実施が困難な6つの理由を書かれております。 まず社会的な理由として,大規模臨床研究を行う体制ができていないこと, 財政的支援が乏しいことをあげています。次に医師の側の問題として,医師・看護側に時間的余裕がない, 特にリサーチナースやコーディネーターがほとんどいないということと,多数の症例をエントリーできる病院が少ないことが書かれています。 さらに患者側の問題としては,治療研究の意意義や必要性についての社会のコンセンサスがなく,治験に対するアレルギーがある, あるいは外国にあるボランティア精神の発想がないこと, そして健康保険の違いもありますが,治験参加者にメリットがなさすぎることとあります。 私もまさにそのとおりだと思いますが,この6つのポイントを整理していくことが今後極めて重要になります。

■日本でのEBM基準はQOLの向上を指向

豊岡 高血圧でも高脂血症でも,外国の試験を見るとよく可能になったと感心するのですが,いかがですか。

寺本 高脂血症に関する大きな試験は世界的にあらゆるところからつついても結果がうまく出ている試験で,こんな分野はほかにありませんね。

 わが国で問題になる点は松ア先生がおっしゃったとおりで,死亡率はいまアメリカと日本でその差はだいぶ狭まってきているのですが, それでも4〜5倍の差があるのです。 そういった状況下で彼らと同様な試験をするとすれば,WOS(West of Scotland Study)が6000人を超えていますから,それの5倍,数万人を対象にしなければならないし, 年数も長くしなければいけませんから,日本における実施はおそらく無理であろうと考えざるを得ません。

 しかし,1つ重要なことは,日本のガイドラインの中でも示しましたが, 相対的な危険度としてコレステロール値が上がれば冠動脈疾患の発症率も上がるという事実は海外でも日本でも同じで, コレステロールを下げることが悪くないのは間違いありません。 あとは,そこから得られるメリットを日本ではどこに求めていくかということになるのであって,先ほど松ア先生がいわれたQOLを追求するやり方は非常にいい方法ですね。

 現在,わが国でスタチンを用いた8000人の高脂血症患者を対象とした予防試験が進行中ですが, そのエンドポイントは冠動脈疾患の発症率に絞られていて,死亡率とされていないのはそういった背景があるからです。

 私は,日本で現在行われている試験から冠動脈疾患の予防効果について, ある一定の傾向が出てくれば,コレステロールを下げる意義は生物学的な意味ではおそらく問題はないのですから, そのへんである程度の橋架けができるのではないかと考えています。ですから,必ずしも今後も日本でいわゆるEBMがまったく出てこないとは言えない。 そういう努力はかなりできているのではないかなと私は考えています。

■危惧される治験の空洞化

松崎 この数年間のすべての臨床治験件数を厚生省がまとめていますが,1996年ぐらいからすべての医学分野において急激に治験件数が減っています。 これは日本における治験の完全な空洞化を表しています。

 文部省はこれに懸念を示し,昨年,治験管理センターを国立大学の3校で開始しました。 省令化は平成12年(2000年)度ですが,前倒しで東大,阪大,山口大に人員配置がすでに行われています。 山口大では私が治験管理センター長をしていますが,とにかくもう一度臨床治験の立て直しをしてほしいということで, 平成12年度にはさらに7大学に治験管理センターができることになっているようです。これには治験コーディネーターが2人配分されました。 このように,文部省や厚生省も,日本人を対象にして本当に有効な薬を見極める作業として治験が絶対に必要であるという認識には立っているんです。

■臨床疫学の専門医の地位の確立を

松崎 日本で治験をスムーズに行うための要件として,いくつかのことが考えられます。

 まず,先ほどから指摘されているように,日本では欧米でのような死亡率を第一次エンドポイントとした治験はやりにくいという現状があるので, 日本独自に何らかのエンドポイントを設定する必要があります。

 また,治験を受ける患者と治験を行う医師ないしはリサーチナースに対する法整備も必要です。 例えば,治験コーディネーターやリサーチナースの数は欧米と比べてずっと少ないですし,臨床医は治験をまだ片手間でやっているようなところがあります。 欧米では治験に関わるリサーチナースや医師に対する報酬はすべて治験の費用から給料として支給され,正式な公務と認められているのに対し, 日本では現在まだそれができないのです。最近になって臨床治験に参加された患者に通院費用として1人1回7000円が支給されることになった点は, 少し改善されたといえますが,まだまだ不十分です。

寺本 医師が片手間でやっていることは大きな問題です。欧米では臨床疫学を専門とする医師はそれなりの地位を築いていて, 正当に評価されています。一方,わが国ではいくら臨床疫学的な仕事をしても評価にはつながらないところがあるので, そこに足を踏み込むのを皆逡巡する。私はWOSの最初の段階に現地に見学に行ったのですが, 10人ぐらいの医師がほとんどそれを専属で行っていて,その人たちは「ここから得られるものでこれから生きていくんだ」という気概をもっていました。 それぐらい仕事に打ち込まないと,あれだけのデータは出てきません。

 今度できる治験センターがどういう立場のものなのか私にはわかりませんが,ある程度の地位を与えないとEBMを形成していくのはなかなか難しいという気がしますね。

■患者に治験参加のメリットを啓蒙する

島本 治験の数が激減しているのは全国の病院で共通している事実で, これの大きな原因としては,インフォームド・コンセントを厳しくとるようになったことがあげられます。 私の場合も2人の患者さんのうち1人とれればいい,下手をすると3人に1人という状況です。つまり,医師側だけでなく対象となる患者側の整備も必要です。

 マスコミは治験のいろいろな問題点のみを取り上げているので,治験から得られるメリットももっと宣伝してもらいたい。 医師会や学会も患者側に啓蒙して協力してもらえるような体制をつくっていかないとだめです。

寺本 ガイドライン作成のメリットは最終的にはスタンダードな医療を提供される患者側にあることを患者さんにわかっていただきたいですね。 「治験からデータだけを得ている」というような意識を患者さんたちがもたれると参加してもらうことが難しくなると思いますね。

島本 そういう意味では,高血圧にしても高脂血症にしても純粋プラセボを使った二重盲検試験は不可能になってきているかもしれません。 これだけデータが外国で出てきているなかではプラセボを使った二重盲検試験は日本の患者も納得しないと思うので,ある薬剤を対照としたblind studyとするなど,方法も工夫しないといけないと思います。

松崎 厚生省は日本における治験の空洞化に懸念をもっていて, ブリッジング試験(外国で行われた治験を我が国で利用するために行う補足的試験)を推奨しているところがありますね。 その第1号がバイアグラ(R)なのですが,私はこのブリッジングは非常に危険を伴うと思うのです。 ブリッジングは薬の用量の点ではほとんど役に立たないのではないでしょうか。

 今回,慢性心不全の治療ガイドラインをつくるにあたってβ遮断薬をどう扱うかに非常に難渋いたしました。 というのは,薬効においてすべてのβ遮断薬の「使用禁忌」項目に心不全が入っているのです。 その使用禁忌薬とされているβ遮断薬をわれわれは心不全患者に投与しているのです。 例えば,心移植の適応検討委員会においてもβ遮断薬の使用経験がない場合,「一度β遮断薬を試してください。 これを試すことによって約20〜25%の症例は移植対象から外れます」と報告しているのですからね。矛盾した話です。 この薬をブリッジングでやるには問題があります。欧米のβ遮断薬の使用量は日本ではとうてい容認できないような高用量です。 そういうことからブリッジングはかなり危険な面もあるという気がします。となると,やはり日本で日本人を対象として治験をやらざるを得ないのです。

 ですから,日本における治験の空洞化は今後21世紀の医療にとって非常に大きな問題だといわざるを得ません。 この問題を打破する妙案を考えなければいけない時期に来ていると思います。 対策としては,患者側,医療者側両面に対する法的整備のほかに,マスコミなどを通じた治験の推奨キャンペーンも有効な手立てとなるかもしれません。

 欧米では「われわれの大学では今こういう治験をやっています」とインターネットに流していて, アメリカではそれを見た患者さんがわざわざ飛行機で「私の病気を治してください」とやって来て, 病院の近くに住みつくようなこともあると聞いています。ところが,現在日本ではマスコミを通じた宣伝は禁止されていて, 「私たちのところではこういう医療ができます」「こういう成績をあげています」と公表することができないんです。 最近の情報では少し改善されたようにも聞いておりますが。

豊岡 最近の治験の減少と心移植が日本になかなか定着しなかった背景と似ている気がいたします。

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