■治療学・座談会■
EBMの功罪
出席者(発言順)
(司会)豊岡照彦 氏 東京大学医学部第二内科 教授,保健センター所長
松崎益徳 氏 山口大学医学部第二内科 教授
島本和明 氏 札幌医科大学第二内科 教授
寺本民生 氏 帝京大学医学部内科 教授

治療ガイドラインとEBM

豊岡 最近医学のいろいろな領域で治療のガイドラインをつくる動きが出てきていますが, その理論的あるいは科学的根拠となるのはさまざまなstudy(試験)によって明らかにされた成績で, これをevidence basedmedicine(EBM)といいますが,これには適訳がありません。

 医療は進歩し,患者はさまざまな背景を有し,それにより治療効果の相違を示してくる場合もあります。 治療にあたって,それが臨床医のひとりよがりに陥らないという意味でEBMを示して最善の治療を患者さんに示す。 臨床医も治療方針の決定に間違いがなかったか,反省の材料にEBMを参照する。こういった用い方のためにEBMがあると私は認識しております。

 しかし,そのときに私はEBMとstudyの関係がわからなくなってしまうのです。studyの結果は果たして最善を示すであろうか, 単に平均的な治療効果を示すだけではないだろうか,という疑問があるわけです。 患者は遺伝子の個体差も含めた患者自身の内的な環境や外的な環境もあるので,相違があるのは当然なのです。 ところが,きれいなstudyにするために患者を均質にする必要があり,「典型的な患者」という線を引いてますが, 教科書的な患者は現実には1人もいません。一方,患者が不均質だと出てくる結果は大きくばらつき,明らかな結果が出なくなってしまうこともままあります。

■ 日本は経験則重視の医療であった

豊岡 そこでまず,このようにして得られた試験結果をEBMとして用いることは,最善の治療を求める方法論として正しいのか, ご意見をうかがいます。まず松崎先生はどうとらえておられますか。

松崎 従来,日本でも「長年の経験に基づいた治療」が行われていたのですが,欧米を中心にEBMに基づくガイドラインづくりが盛んになり, 日本でもガイドラインに基づく治療法が提唱されるように変わってきたのです。

 例えば,私どもが医者になったころの心不全治療といえばいかにジギタリスをうまく使うかということで, 急速なジギタリス飽和療法をやれなければ循環器の医者ではないといわれました。当時はジギタリスの血中濃度測定もなく, 心電図のQTの長さやSTの盆状効果などを見ながら経験に基づいて治療したのです。それではいけないということで,ガイドライン作りが始まりました。

■ 日本のガイドライン作成には独自のEBMが必要

松崎 しかし,欧米でつくられたガイドラインが日本の患者に適用できるかどうかには大きな問題があります。1つには体格の差や薬物に対する認容性があげられます。

 日本循環器学会は1997年からガイドラインづくりに入りまして,1998年から2000年3月まで私は日本人における慢性心不全の治療ガイドラインづくりの班長を務めましたが, そこで困ったのは日本人を対象にした大規模臨床試験が皆無に近いことでした。

 では,欧米の大規模臨床試験のEBMを基にできるかというと,それは到底無理です。 例えばアメリカではNew York Heart Association(NYHA)のIIからIII度の重症度の患者は1年に約5〜10%も死亡しているのに,日本では死亡率は1%以下です。 これは日本で現在行われている約200人の慢性心不全患者を対象とした未発表の臨床試験の結果です。 すなわち,死亡率が10倍ぐらい違うわけで,日本ではそのような臨床経過をとる患者を治療対象とするのに, 欧米の大規模臨床試験のEBMを基にしてガイドラインはつくれない,しかし,日本では大規模臨床試験がないという大変なジレンマがあるのです。

 また,EBMの扱いにおいて注意しなければいけないこととして,いま豊岡先生が言われたように, 大規模臨床試験の結果は個々の患者の結果ではないことを常に頭に置いてEBMを解釈または理解する必要があります。

豊岡 先生が関わっていらっしゃる現在進行中の心不全患者の試験は慢性心不全についてのものでしょうか。

松崎 そうです。慢性心不全の治療ガイドラインをはじめ,心・血管疾患治療のためのいくつかのガイドライン作りが日本循環器学会で進められております。

■ 非専門家はフローチャートのみを使うこともありうる

豊岡 高血圧がご専門の島本先生は,いまの議論に対してどうお考えですか。

島本 日本の高血圧学会でも厚生省からの指示を受けて現在ガイドライン作りをしておりまして, 6月には印刷があがる予定になっております。ただ,こちらもせいぜい3桁台の中規模臨床試験が3つあるだけで,欧米のガイドラインのEBMに相当するものは非常に少ないといえます。

 私はガイドラインのとらえ方も使う医師の立場によって変わってくると思うんです。ガイドラインをよく読むと, EBMについて背景を含めて解釈のしかたまでかなり慎重に書かれているので,専門家ならそれをよく吟味咀嚼して広く適応を決めていけると思いますが, 非専門家の場合には往々にして中身を読まないでフローチャートだけを見てしまって,本当は面でみるべきところを線でとらえて判断してしまう可能性が強い。 高血圧などは比較的時間がかかって効く,効かないをじっくりみていける慢性疾患ですから,それでも大丈夫な場合が多いのですが, これが心不全や狭心症など時間的に厳しい状況の疾患だと,非専門家がフローチャート方式をどの程度有効に使えるのか,疑問です。 こういう点で,誰を対象にしたガイドラインで,ガイドラインを生かすうえでどこに気をつけるべきかをつくる側でよく考えて進めていく必要があると思います。 例えばアメリカのJNCは非専門家のためのガイドラインで,WHO/ISHはどちらかというと専門家のためのガイドラインということになります。

■ 日本のガイドライン理念はスタンダードな医療の提供にある

豊岡 ガイドラインによって理念や指向するものが違うということですね。寺本先生はいかがでしょうか。

寺本 まさしくそのとおりで,同じガイドラインでも基本的な発想が若干違うところがあります。 高脂血症に関していうと,アメリカのNational Cholesterol Education Programは,まさしく非専門家を対象としたものです。 したがって,そのガイドラインの方向性も極めてシンプルにすることが理念となっています。 一方,ヨーロッパでつくられたガイドラインはもう少し突っ込んだものになっていて,例えば高血圧も高脂血症もあって, しかも臓器障害がどれぐらいあるか,といったきめ細かなところにまで踏み込んだ形のものがつくられています。

 わが国で考えられているガイドラインの理念は,スタンダードな医療を求めることが基本にあります。 ガイドラインができる基となるのはおそらく各病院のマニュアルであり,それを標準化していこうという動きがまさにガイドラインの理念なのです。 そのガイドラインを確固たるものにするのに必要なのがEBMであるということです。

■ EBMの信頼性はどこからくるか

寺本 高脂血症の治療もEBMが出てきてから大きく変わってきております。 1988年にNational Cholesterol Education Programが発表され,その5年後の1993年に書き換えられているということは, その間にいくつかの重要な治療上のエビデンスが集積してきたからです。そのようにして変更が加えられていくために,EBMは非常に大きな意味をもっていると思いますね。

 そこで重要なのは,いま先生方がご指摘になっているとおり,ベースになるEBM自体に対する信頼性について議論しておかなければいけないということです。 そのなかでも重要なのは,どういう患者を対象にしてどのくらいの規模で行ったものであるかで,それをきちんととらえて取り入れるべきかどうかを考えていく必要があります。

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