4.  考 察
4.1. 米国,EU,日本におけるドラッグラグの全体像

 1999年から2007年に米国,EU,日本のいずれかにおいて承認された新医薬品は398薬剤あった。 これらのうち約90%が米国,EUで承認されているのに対し,日本において承認されている薬剤は約半数であった。 新医薬品の半数以上が米国において世界初承認となっているが,EUにおいてはわずかな遅れがみられるのみである。 一方,米国,EUにおいて,世界初承認からの遅れがわずかであるのに対し(承認ラグ中央値:米国0ヵ月,EU 2.7ヵ月), 日本において承認されている薬剤の承認ラグ中央値は41.0ヵ月であった。 すなわち,9年間の調査期間中に日米EUで承認された新医薬品のうち約半数は日本では使用できず,使用できる薬剤であっても, 欧米に比べた平均的な承認の遅れは約3.5年であることが明らかとなった。

 各地域で承認されている薬剤の中には,それぞれの地域でのみ承認されている薬剤が一定数存在する。 これらの薬剤は他地域に先んじて当該地域で承認された場合もあれば,当該地域でのみニーズのある薬剤である可能性もある。 これらの薬剤を計算に含めることにより,相対的ドラッグラグを過大あるいは過小評価する可能性があることを考慮し, いずれの地域においても承認されている159薬剤を対象とした分析も行った。その結果,日本における承認ラグ中央値は50.7ヵ月であり, 米国(0.2ヵ月),EU(1.8ヵ月)に比べ4年以上の遅れが認められた。3地域ともニーズのある薬剤のみを対象とした場合にも, 日本における新医薬品の承認には大きな遅れが認められた。

4.2. 米国とEUとの比較

 米国とEUにおいては,新医薬品の臨床試験が同時に進められ,統合的な承認申請データパッケージをもってほぼ同時期に承認申請が行われることが多い。 したがって,米国とEUの間に承認ラグの差がほとんどないことは予想された結果である。 本研究では,EUに比べ米国での承認が一貫して早いこと,調査期間の後半(2004〜2007年)には米国とEUとの差が顕在化することが示された。 年ごとの新医薬品承認数に占める世界初承認数の割合は,米国では年々大きくなり,EUでは小さくなった。

 米国とEUの審査期間中央値は,分析対象新医薬品全体でみると,米国11.6ヵ月,EU 15.8ヵ月と約4ヵ月の差がある。 臨床的重要度別にみると,臨床的重要度が低い薬剤群では米国15.9ヵ月,EU 16.3ヵ月と差がないのに対し, 臨床的重要度が高い薬剤では,米国6.2ヵ月,EU 15.2ヵ月と,差は9ヵ月となる。 これは,臨床的重要度が高い薬剤の多くが米国においてPriority Reviewにより承認されているからである。 米国は,Priority Review対象となった薬剤の審査期間について目標値の6ヵ月を達成している。 したがって,米国とEUとのわずかな承認ラグは,審査期間の差に相当するといえる。

 1980年代には米国における新医薬品の上市がイギリスと比較して遅いことが議論されていたが, 1990年代以降の状況についてはこれまで明らかではなかった。 本研究の結果,現在新医薬品の承認に関しては米国がもっとも進んでおり,EUでのわずかな承認ラグは審査期間の差であること, 米国は,Fast Track指定やPriority Reviewによる優先順位の明確化により,臨床的重要度が高い薬剤を他国に先駆けて承認していることが明らかになった。

4.3. 日本におけるドラッグラグの構成要素と要因

(1)日本におけるドラッグラグは「海外オリジンの薬剤の承認の遅れ」

 日本オリジンの薬剤群と海外オリジンの薬剤群との相違は明確であった。 承認ラグを被説明変数とした重回帰分析においては,海外オリジンの薬剤であることは承認ラグの大きさにもっとも強く影響を及ぼす要因であった( 標準回帰係数 0.416, t=4.93)。また,オリジネーター国籍によるサブグループ分析では, 日本オリジンの薬剤は3薬剤を除きすべて(94.5%)日本において承認されており,大半(78.2%)が日本で世界初承認となっているのに対し, 海外オリジンの薬剤の日本における承認割合は49.0%,承認ラグ中央値は50.9ヵ月と,顕著なドラッグラグが認められた[3.6.1 参照]。

 本研究を開始した時点では,薬剤のオリジンによるドラッグラグの現状について明らかにした研究は存在しなかった。 一方,製薬協のアンケート調査で,日本企業が開発を行っている新医薬品の約40%について海外での治験が先行しているという結果が得られていたことから, 「日本企業が海外での治験を優先させているため,海外での承認が先になり, 結果として日本のドラッグラグが起きている」という推測に基づく批判があった。 本研究の結果,少なくとも2007年末時点においては,日本オリジンの薬剤の大半は日本で最初に承認を取得していること, 日本におけるドラッグラグの本質は,海外オリジンの薬剤の承認の遅れであることが明らかとなった。 日本オリジンでありながら承認が遅れた例として取り沙汰されたoxaliplatinは, 医薬品候補化合物の段階で海外企業に導出されたために海外での開発が先行したうえ, 日本における開発企業の交代などが影響した例外的なケースであるといえる。

(2)薬剤の臨床的重要度による影響はない

 分析対象新医薬品の約半数は日本で承認されていないことが明らかになったが,未承認薬剤のニーズがそれほど大きくないのであれば, 単純に問題と考えることは適当ではない。また,承認が遅れている場合でも,代替治療が存在する領域であれば大きな問題はないと考えられる。 問題とすべきドラッグラグは,既存治療に比べて高い有用性を有する新医薬品の承認が遅れることであり,とくに重篤・致死的な疾患において大きな問題となる。 そこで,分析対象新医薬品398薬剤のうち,臨床的に重要と考えられる薬剤を抽出して分析を試みた。

 臨床的重要度が高い薬剤群の定義は「既存治療に比べて明らかに高い有用性を有する薬剤」とし, それらを選択する基準として,各地域の規制当局による開発・審査上の優遇措置を受けているものとした。 米国におけるFast Track指定は,重篤・致死的な疾患においてアンメットニーズを満たす可能性のある医薬品候補化合物に対し, 開発支援および審査上の優遇措置を与えるものである。日本における優先審査の対象となる基準は, 「稀少疾病用治療薬,その他重篤な疾病等を対象とする新医薬品であって医療の質の向上に明らかに寄与すると認められるもの」とされており, 米国のFast Track指定の基準に近い。米国のPriority Reviewは,重篤・致死的な疾患に限定されないが, 既存治療に比べ明らかに高い有用性を有するものが対象であるため,Priority Reviewにより承認された薬剤も臨床的に重要な薬剤群に含めた。 さらに,厚生労働省「未承認薬使用問題検討会議」において,日本において未承認であるが重要な薬剤として取り上げられ, 開発促進が決定された薬剤(早期に治験が開始されるべき,あるいは早期に承認申請が行われるべき,とされた薬剤)を対象に含めた。

 臨床的重要度が高い薬剤群には146薬剤が分類され,抗癌剤,HIV感染症治療薬,侵襲性真菌症治療薬などHIV以外の感染症治療薬, 先天性代謝異常症治療薬,血栓症予防薬などの血液系薬剤,てんかん治療薬などの神経系薬剤が含まれる。 オリジネーター国籍によるサブグループ分析の結果,日本における承認割合は49.3%,承認ラグ中央値は37.7ヵ月であり (分析対象新医薬品全体では,日本における承認割合55.3%,承認ラグ中央値41.0ヵ月), 臨床的重要度が高い薬剤群において,承認割合は新医薬品全体に比し低かった。オリジネーター国籍と臨床的重要度によるサブグループ分析を行ったところ, 日本における承認割合は臨床的重要度が高い海外オリジンの薬剤群(135薬剤)でもっとも低く(46.7%), 半数以上(57.8%)は海外で承認されるまで日本での開発が行われていなかった[3.6.1 参照]。38薬剤(28.1 %)は現在も開発が行われていない[3.6.4(1)参照]。日本における承認薬剤を対象とした重回帰分析においても, 臨床的重要度は承認ラグの大きさにも開発着手時期にも影響を及ぼしていなかった[3.5参照]。 臨床的重要度は開発のインセンティブとはなっていないと考えられた。

 これら135薬剤のおのおのについて,日本におけるニーズがどの程度であるかは明確にはできていない。 しかし,すでに承認された薬剤が63薬剤,開発中の薬剤が33薬剤であり, 開発未着手の38薬剤のうち12薬剤は「未承認薬使用問題検討会議」において開発促進が決定されていることから, 臨床的重要度が高い135薬剤の大半について日本におけるニーズが認識されているといえる。 これらの承認が海外に比べ大きく遅れていること(承認ラグ中央値=41.0ヵ月), ニーズが認識されていながら開発が行われていないことは,治療アクセスの観点から問題と考えてしかるべきである。 海外オリジンの薬剤の承認の遅れが日本オリジンの薬剤で代替可能であれば問題は生じないが, 侵襲性真菌症治療薬であるmicafungin(日本オリジン,承認)とcaspofungin(海外オリジン,未承認)以外にそのような例は見当たらず, 臨床的に重要な海外オリジンの薬剤の承認の遅れは治療上の不利益をもたらす可能性が高い。 さらに,「未承認薬使用問題検討会議」において開発促進が決定されたにもかかわらず, 現在も開発が行われていない薬剤が相当数(12薬剤)あること[3.6.4(1)参照], その理由として開発企業が存在しない場合があることは,着目すべき所見であると考えられた。

(3)審査期間の影響はわずか

 前項で述べたとおり,臨床的重要度が高い海外オリジンの薬剤群(135薬剤)においてもっとも顕著なドラッグラグがみられ, 臨床的に重要であるにもかかわらず,海外オリジンの薬剤の承認が遅れることが問題となると考えられた。

 この薬剤群での審査期間中央値をみると,日本の審査期間(13.3ヵ月)は米国(6.2ヵ月)より約7ヵ月長い程度であり, EU(15.2ヵ月)より約2ヵ月短かった[3.6.1参照]。 この薬剤群の日本における承認薬剤63薬剤のうち47薬剤(74.6%)は優先審査により承認となっており, 審査期間中央値は,臨床的重要度とオリジネーター国籍による薬剤群の中で最短である (臨床的重要度が高い日本オリジンの薬剤群=20.4ヵ月,臨床的重要度が低い海外オリジンの薬剤群=23.1ヵ月, 臨床的重要度が低い日本オリジンの薬剤群=29.9ヵ月)。 この薬剤群では大半の薬剤が米国においてPriority Reviewの対象であるため,米国の審査期間中央値はPriority Reviewの目標値6ヵ月に近い数値となっている。 日本の審査期間は審査体制の充実している米国に比べれば長いが,優先的審査制度がないEUより短くなっている。 日米の審査体制の差異を考慮すれば,臨床的重要度の高い海外オリジンの薬剤群の日本における承認審査は可能な限り迅速に行われているといえる。

 これまで,日本のドラッグラグの原因は日本の審査に時間がかかるためと報道されることがあった。 しかし,臨床的重要度が高い海外オリジンの薬剤群の承認ラグ中央値は41.5ヵ月であり, 日本と米国の審査期間の差が7ヵ月,日本とEUの審査期間の差は−2ヵ月である。承認ラグの構成要素である「開発着手の遅れ」, 「治験長期化による遅れ」,「審査長期化による遅れ」のうち,審査長期化による遅れに相当するものはわずかであることが明らかとなった。

(4)ドラッグラグの主要な構成要素は「開発着手の遅れ」

 承認ラグのうち,日本における審査長期化による遅れによる部分はわずかであり, 承認ラグの主要な構成要素は開発着手の遅れあるいは治験の長期化による遅れであることがわかった。 しかし,企業は治験開始日など開発着手に関する情報を公開することは稀であり,公開情報から開発着手日を正確に特定することは困難であるため, 開発着手の遅れと治験長期化による遅れのおのおのを算出することは不可能である。 一方,本研究のデータソースの一つとして用いたIMS R&D Focusは,米国,EU加盟国,日本における開発情報に関する新聞情報等をデータベース化しており, 世界初承認時の日本の開発状況について,おおよそを知ることができた。 たとえば,「2000年1月に米国で世界初承認になった際に日本では臨床第III相試験を行っていた」, 「2001年1月にEUで世界初承認になった際に日本では開発が行われておらず,その後も行われていない」という情報は収集可能であった。 また,日本で承認された薬剤については,審査報告書あるいは申請資料概要において治験開始日はマスクされているものの, 開発の経緯についておおよその状況を知ることができ,IMS R&D Focusの情報との相互確認を行うことができた。 そこで本研究では,開発着手時期の代理変数として「世界初承認時の日本における開発状況」を用いることとし, i)承認(日本が世界初承認),ii)承認申請中,iii)治験実施中,iv)開発中止・開発未着手,の4区分での分類により分析を行った。

 その結果,臨床的重要度が高い薬剤であっても,世界初承認時に日本における開発が開始されているものは42.2%(57/135)にすぎず, 半数以上の薬剤について,海外で承認されるまで日本での承認申請を目指したアクションが起きていないことが明らかとなった[3.6.4(1)参照]。

 政策研の報告によれば,1998年から2007年に承認された新医薬品の臨床開発期間平均値は, 米国,日本ともに約60ヵ月(約5年)であり,優先審査品目に限れば日本の臨床開発期間は米国より15.3ヵ月短い22)22)安田邦章, 小野俊介. 日本における新医薬品の開発期間:臨床開発期間と承認審査期間. 医薬産業政策研究所リサーチペーパー・シリーズNo.42. 2008.Available from URL: http://www.jpma.or.jp/opir/research/ article42.html[Accessed Jan. 27, 2009]。 世界初承認時に日本での開発が開始されていないことは,日本での開発着手が海外より5年以上遅れている状況であると想定できる。 また,日本の平均的な臨床開発期間は,通常審査品目で欧米と同程度,優先審査品目で欧米より短いことから, 日本における「治験長期化による遅れ」は承認ラグの構成要素として重要ではないと考えられる。 3.6.5「治療領域ごとの詳細分析」で取り上げたいくつかの重要な薬剤の中には, 何らかの事由により日本での臨床開発が長期化した例はあったが,大半の薬剤で開発着手の遅れが承認の遅れにつながっていた。

 以上より,臨床的重要度が高い海外オリジンの薬剤群について,承認ラグの構成要素のうち主要なものは開発着手の遅れであるといえる。

(5)開発着手時期に影響を及ぼす要因

 上述のとおり,臨床的重要度の高い海外オリジンの薬剤群において日本のドラッグラグはもっとも顕著であり, 承認ラグの構成要素として主要なものは開発着手の遅れであることが明らかになった。 そこで,この薬剤群で日本における開発着手が遅れる(あるいはいまだに開発が開始されていない)要因について分析を行ったところ, i)ライセンシングの状況,ii)日本における予測患者数,iii)日本における予測市場規模,vi)治療領域あるいは薬剤の特性,が関係していると考えられた。 おのおのについて以下に考察する。

 i)ライセンシングの状況

 「海外初承認時の日本における開発状況」を評価項目とし,日本における開発・申請企業別内訳をみた分析では, オリジネーターである海外企業の日本法人が日本での開発を行う場合には開発着手が早く, 海外企業からライセンスを受けた日本企業が開発を行う場合には開発着手が遅れる傾向が認められた[3.6.4(2)参照]。 海外企業の日本法人が存在している場合には,日本での開発計画は世界戦略に組み込まれているため, 比較的早期に開発に着手すると思われる。一方,日本法人が存在していない場合には, 海外での承認後に日本企業がライセンスを取得して開発に着手する例が多いことがわかった。 ライセンスを持つ海外企業の日本法人が存在しないため,いまだに開発未着手であるものも相当数存在していた。

 早期のライセンシングが行われない理由としては,海外での新薬開発に関する情報収集が不十分であり, 日本企業が海外の有望な医薬品候補化合物の存在に気がついていないという可能性がある。 海外,とくに米国ではベンチャー企業による新医薬品創製が盛んであり, 大企業へのライセンシングを行わず自社申請を行うケースが増加している。 日本法人が存在せず,企業側が日本を含めた世界開発計画を立てていない場合,海外で承認され, 話題になってはじめて日本での認知度が上がることがある。先天性代謝異常症治療薬のgalsulfase,小児難治性てんかん治療薬のstiripentolなどが好例である。 一方,候補化合物の存在を知っていても,早期の臨床データが得られたのみの段階では, その後の臨床開発が成功し,医薬品として承認されるに至るかどうかの判断は困難である。 企業が早期開発のリスクを取らないことも,早期のライセンシングが行われない理由の一つとして考えられる。

 ii)日本における予測患者数

 「海外初承認時の日本における開発状況」と日本における予測患者数との関連をみた分析では, 世界初承認時に日本において開発が開始されていた薬剤と比較し,開発未着手であった薬剤の予測患者数は少ない傾向がみられた。 開発未着手であった薬剤の予測患者数中央値はわずか550人であり,2薬剤(etanercept,bevacizumab)を除き, 予測患者数は10,000人未満であった。患者数が1,000人未満の薬剤の大半について,海外で承認されるまで日本での開発は行われていない[3.6.4(3)参照]。 これらの薬剤は,稀少癌,先天性代謝異常症,移植における拒絶反応抑制を適応としたものであり, きわめて患者数の少ない重篤疾患を対象とした治験が成立困難であることが背景にあると考えられる。

 患者数が10,000人以上であったetanerceptとbevacizumabは市場規模も100億円以上の薬剤であるが,いずれもバイオ医薬品であり, 患者数以外の要因が関係したケースと考えられた[vi)に後述]。

 iii)日本における予測市場規模

 「海外初承認時の日本における開発状況」と日本における予測市場規模との関連をみた分析では, 世界初承認時に日本において開発が開始されていた薬剤と比較し,開発未着手であった薬剤の予測市場規模は小さい傾向がみられた。 開発未着手であった薬剤の予測市場規模中央値は13.7億円であり,前述の2薬剤(etanercept,bevacizumab)を除き, 予測市場規模は100億円未満であった[3.6.4(4)参照]。全体としては予測患者数と予測市場規模の間に相関はみられないが, これらの薬剤は対象患者数がきわめて少なく,かつ市場規模が小さい稀少癌,先天性代謝異常症,移植における拒絶反応抑制を適応とした薬剤である。 治験実施困難に加え,治験コストに見合うリターンが見込めないことが開発着手遅延の背景として考えられる。

 一方,臨床的重要度が低い薬剤であっても,予測市場規模が大きい薬剤の開発着手は早い傾向が認められた。 予測市場規模が100億円以上の薬剤の大半は,臨床的重要度にかかわらず世界初承認時に日本での開発が開始されていた。 市場規模が非常に大きい薬剤には,骨粗鬆症治療薬のビスホスホン酸製剤や高血圧治療薬のアンギオテンシン受容体拮抗薬が含まれる。 これらは重篤・致死的な疾患ではなく,既存の類薬と比較した明らかな有用性は認められていないため, いずれの地域においても審査上の優遇措置は受けておらず,臨床的重要度が低い薬剤群に分類されている。 臨床的重要度にかかわらず市場の大きい薬剤の開発が優先されるといえる。リターンが見込めるという理由のみならず, これらの薬剤の対象患者は多く日本においても相当量のデータ収集が必要であるため,企業が比較的積極的に治験を開始するとも考えられる。

 vi)治療領域あるいは薬剤の特性

 治療領域別にみると,開発着手遅延が起こりやすい治療領域は,先天性代謝異常症,神経系,抗癌剤・免疫調整剤であり, とくに患者数がきわめて少なく,とくに市場規模が小さい薬剤では開発着手の遅れが顕著にみられた[3.6.5参照]。

 先天性代謝異常症では,臨床的重要度が高い海外オリジンの9薬剤のうち7薬剤は,世界初承認時に日本において開発未着手であり, 日本法人が存在しないか,存在している場合でも治験成立困難との予測から開発着手が躊躇されていたものである。 本領域の治療薬は価格が高く市場規模は必ずしも小さくないことから, 市場性よりも,患者数が数人から100人前後ときわめて少数であり治験成立困難であることが開発着手遅延の要因として大きいと考えられた。 また,ベンチャーで創製された薬剤が多く,海外での開発初期に日本法人が存在していなかったことが大きな要因であると考えられた。

 神経系でとくに問題となるてんかん治療薬の開発着手遅延の背景には, 治験実施に伴う困難にあると推測される。てんかん治療薬のみならず, 本領域に含まれる各疾患(統合失調症,偏頭痛,アルツハイマー病など)は, 有効性の客観的指標が確立されておらず,主観的評価に基づく有効率などが用いられること, プラセボ使用が困難であることなどから,有効性の検証が困難である場合が多い。 てんかん治療薬は治療域が狭く,CYP450阻害等による薬物相互作用を生じることが多いため, 血中濃度のわずかな変化で発作の再発や副作用が懸念されることから,治験実施には困難が伴う。 とくに,stiripentolに代表される小児難治性てんかんを対象とした薬剤は,小児を対象としていること,患者数が少ないこと, 治験の成功確率が低いなど複数の要因が重なり,治験実施が躊躇されるという状況が推測される。 これに加え,ライセンサーが海外ベンチャーで日本法人が存在しない場合には,ライセンスを受けて日本での開発を行おうとする企業は容易に現れないと考えられる。

 臨床的重要度が高い薬剤に分類されたてんかん治療薬は4薬剤であったが,臨床的重要度が低い薬剤に分類されたtopiramate,levetiracetam,clobazamも, 日本での承認が待たれていたてんかん治療薬である。topiramate,clobazamは承認されたが, 承認ラグは10年以上であり,levetiracetamは海外初承認から9年を経た現在,まだ承認されていない。 これらの薬剤は,既存治療に対する明確な優位性は示されていないため審査上の優遇措置を受けておらず, 臨床的重要度の低い薬剤群に分類されたが,治療上満足されていないてんかん治療における選択肢を増やす意味で待ち望まれていた薬剤である。 このほか,本研究の調査対象ではないが,ニーズがあると認識されているてんかん治療薬vigabatrinがある( 海外では1999年以前に承認されており日本では未承認であるため,調査対象期間外)。 本薬は,副作用の問題から日本では開発中止となっており,学会からの再三の要請にかかわらず企業による開発再開は断念されている。 てんかん治療薬は,ドラッグラグがもっとも問題となる領域の一つであるといえる。

 抗癌剤・免疫調整剤では,半数以上の薬剤(24/41)について, 世界初承認時に日本において開発が行われておらず,結果として承認ラグが大きくなっている。 日本において承認されたが承認ラグが大きい薬剤の多くはベンチャーで創製されたものであり, 企業間の合併や提携を経て,最終的にライセンサーとなった企業の日本法人あるいはライセンスを受けた日本企業が開発を行っている。 また,現在も開発未着手である薬剤は,海外での承認後に日本企業がライセンスを受けたものの, いまだに開発が開始されていないもの,あるいは開発企業が決定していないものである。 これらは,患者数が数百人から数千人と少なく,市場規模の小さい稀少癌を適応とした薬剤であり, ライセンシングの問題に加えて,患者数,市場規模が要因として重なった結果であると考えられた

 バイオ医薬品のうち臨床的重要度が高い薬剤においても開発着手遅延が認められた。 臨床的重要度が高いバイオ医薬品の60%以上(22/35,62.9%)は,世界初承認時に日本において開発が行われていなかった。 前述したように,先天性代謝異常症と抗癌剤・免疫調整剤では開発着手遅延が顕著にみられるが, これらの領域にはバイオ医薬品が多く含まれる。 また,予測患者数が10,000人以上,予測市場規模が100億円以上であるにもかかわらず 開発着手が遅れた2薬剤はいずれもバイオ医薬品であり(etanercept,bevacizumab), 海外での開発途中で海外企業間のライセンシングが発生している。 ベンチャーで創製された後に大企業への導出が起こることが多いバイオ医薬品の領域では, 日本での開発・申請企業が決定するまでに時間を要し,開発着手遅延が起こりやすいと考えられる。 また,バイオ医薬品は特殊な知識・経験が必要な領域であり,開発経験をもつ日本企業は限られている。 開発権を持つ日本企業がなくライセンシングが必要な場合,積極的に開発を行おうとする企業は多くはないと考えられる。 日本法人が存在する場合でも,日本での開発・申請経験がない場合には,開発着手に対する躊躇がある,準備に時間がかかるなどの状況が推測される23)23)Tsuji K, Tsutani K. Approval of new biopharmaceuticals 1999-2006: comparison of the US, EU and Japan situations. Eur J Pharm Biopharm 2008; 68(3): 496−502.

(6)日本におけるドラッグラグの要因についてのまとめ

 以上より,日本におけるドラッグラグの要因については,下記のように要約される。
 1)日本オリジンの薬剤の大半は日本で早く承認されている。
 2)日本におけるドラッグラグは「海外オリジンの薬剤の承認の遅れ」である。
 3)承認ラグの構成要素のうち主要なものは,審査の長期化ではなく,開発着手の遅れである。
 4)臨床的重要度は早期開発のインセンティブとはなっていない。むしろ市場の大きい薬剤の開発は優先される。
 5)臨床的に重要な海外オリジンの薬剤の開発着手遅延が最大の問題である。
 6)開発着手遅延の要因として考えられるものは,
 患者数がきわめて少数であり,治験成立が困難である。
 ・市場規模が小さく,リターンが見込めない。
 ・日本法人が存在しない,日本でのライセンス先が決まらない。
 ・神経系,稀少癌,先天性代謝異常症では,これらの要因が重複してみられる。
 ・神経系,とくに小児てんかん治療薬では,上記の複数の要因に加え,有効性検証が困難で治験の成功確率が低いことによる開発躊躇も推測される。

4.4. 現行施策の実効性

 ドラッグラグの解消を目指した厚生労働省によるおもな施策は,i)治験環境を整備し,治験を推進すること, ii)審査官を増員し,審査期間を短縮すること,iii)「未承認薬検討使用問題検討会議」において, 欧米での承認薬剤や学会・患者団体から要望のある医薬品について検討し,早期の治験実施につなげる,というものである。 これらの施策の結果として,2011年までに上市ラグを2.5年短縮して欧米並みとし, ドラッグラグを解消するという目標が掲げられ,「革新的医薬品・医療機器創出のための5ヵ年戦略」に明記された19)19)文部科学省・厚生労働省・経済産業省. 革新的医薬品・医療機器創出のための5ヵ年戦略. 文部科学省・厚生労働省・経済産業省; 2007.
Available from URL:http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/04/
h0427-3.html [Accessed May 10, 2007]

 本研究の結果から,治験と審査のスピードアップを目指したこれらの施策は,実効性に乏しいと考えられる。 ドラッグラグの主要な構成要素は開発着手遅延であり,治験と審査の遅れによる部分は小さい。 厚生労働省は「有効で安全な医薬品等を迅速に提供するための検討会」において, 日本の上市ラグ2.5年のうち1.5年が申請までに生じており,1年が審査段階で生じているとしているが, ドラッグラグが問題となる臨床的重要度が高い海外オリジンの薬剤群の審査は迅速に行われており, 米国より約6ヵ月遅く,EUより2ヵ月早い。これ以上の迅速化を目指しても,承認ラグ全体の短縮には寄与しない。 また,承認ラグ中央値は約3.5年であったが,承認ラグの分布は広く,25%の薬剤では承認ラグが6年以上である。 これらは開発着手が大きく遅れたものである。申請までに生じる遅れは,治験の遅れよりむしろ開発着手の遅れであることから, 治験の迅速化による寄与も限定的であると考えられる。

 企業が開発着手に躊躇している場合,治験前相談を充実させることにより,より早い開発着手につなげられる可能性はある。 しかし,大幅な開発着手遅延が生じた薬剤では,海外での開発段階で日本での開発企業が決定していなかったことが背景にある場合が多い。 海外で承認間際になってから,あるいは承認されてから開発企業が決定し,治験相談を始めても遅れを取り戻すことは不可能である。

 「未承認薬使用問題検討会議」は,海外で承認された薬剤の日本での必要性について検討し対応策を決定するため, それまでの遅れは回収不可能である。本検討会が発足した2005年1月から2007年末までの3年間に, 本会議において取り上げられた薬剤は169薬剤あり,うち学会・患者団体要望が提出されていたものは89薬剤ある。 このうち日本において開発が行われていなかったものは53薬剤あり, 開発促進により開発・申請段階へと移行したものは8薬剤のみ(pemetrexed,thalidomide,laronidase,diazoxide,galsulfase,rifabitin,nelarabine,idursulfase) 24)24)Tsuji K, Tsutani K. Follow the leader. Nature 2008; 453(7197): 851−2.である。 開発促進によらず企業による開発が自主的に開始されたものが1薬剤あったが,89薬剤のうち44薬剤は現在も開発が行われていない。 本検討会議は,開発着手が躊躇されていたいくつかの薬剤について申請に向けたアクションが始まったという観点からは,ドラッグラグ解消に向けた一定の貢献はあったといえる。 しかし,すべて海外での承認後の対応であることから,承認ラグは長いもので20年以上である。 承認ラグが最小であるidursulfase(14.3ヵ月)は,海外での承認後ただちに海外データのみで承認申請を行うことが決定されたものであるが, 海外での承認後に対応を検討する現行の方策では,承認ラグをなくすことはできない。

 以上のことから,現行施策によりドラッグラグ解消の目標を達成することは非常に困難であると考えられる。 ドラッグラグを解消するためには,その原因となっている開発着手遅延を解決するための方策を考える必要がある。

 
4.5. ドラッグラグ解決へ向けた提言

(1)世界での開発開始段階での情報共有化

 ドラッグラグを解消するためには,世界での開発着手の段階で,日本における開発・申請企業が決定していることが必須である。 世界での開発着手の段階で日本が開発計画に含まれていれば,国際共同治験への参加を検討することが可能であるが, 開発後期となってから日本での開発企業が決定した場合,国際共同治験への参加は困難となる。 海外と日本が別個に臨床開発を行う場合でも,統合された世界開発計画を立案することで, 海外データの利用可能性を含め効率的な開発を行うことが可能となる。 日本でのアクションが遅れるほど日本における開発の負荷は高くなると考えられる。 とくに,稀少癌や先天性代謝異常症などの患者数がきわめて少ない疾患では,日本単独の治験実施は困難であるため, 開発着手が遅れることによりさらに治験実施への躊躇が大きくなる。 世界での開発開始時に日本での承認申請を視野に入れた計画が立案されていることはもっとも重要である。

 世界での開発着手段階で情報共有化がなされるためには,海外と日本の製薬業界間,規制当局間,さらには産業界と規制当局との相互協力が必要である。 各地域の産業界と規制当局によるpublic−private partnership(PPP)が有効と考えられる。 情報共有化により,「海外に有望な医薬品候補化合物があるが気づいていない」という問題はまず解決される。 しかし,情報が得られたとしても,限定された非臨床試験成績やごく初期の臨床試験成績に基づいて開発を開始するにはリスクが伴う。 情報共有化の試みとともに,早期開発のリスクを取る企業に対するインセンティブの仕組みを構築することも重要である。

 有効なPPPのあり方を考えるにあたっては,途上国における熱帯病などneglected diseases(見捨てられた疾患)と呼ばれる 疾患群の治療薬開発を目的とした活動が一つの参考となりうる1)1)津谷喜一郎(編). くすりギャップ:世界の医薬品問題の解決を目指して. ライフサイエンス出版; 2006.。 neglected diseasesにおける問題は治療薬そのものが開発されないことであり, 海外で承認されている薬剤が使用できないというドラッグラグの問題とは異なるが, 産官連携やインセンティブの仕組みの構築が重要であるという認識は共通すると思われる。

 neglected diseases治療薬の開発を目的としたPPPはProduct−Development Partnership(PDPs)と呼ばれ, Drugs for Neglected Diseases(DNDi)の活動がよく知られている2525)Oxfam International. Ending the R&D Crisis in Public Health: promoting pro-poor medical innovation. Oxfam Briefing Paper 122. 2008. Available from URL: http://www.oxfam.org/files/bp122-randd- crisis-public-health.pdf [Accessed Feb. 23, 2009], 26)26)Drugs for Neglected Diseases. Available from URL: http://www.dndi.org/[Accessed Feb.23, 2009]。 DNDiは,世界各国の研究所,NGO,規制当局が共同設立した国際的ネットワークであり,市場性ではなくニーズ最優先で新薬開発を行う。 現在までに抗マラリア合剤2薬剤の上市に成功しており,各国政府への働きかけも積極的に行っている。 また,世界保健機構(WHO)の協力を得た国際的ネットワークであるGlobal Forum for Health Researchは, さまざまなPDPsの支援活動や情報提供活動を行っている27)27)Global Forum for Health Research. Available from URL:http://www.globalforumhealth.org/Site/ 000__Home.php [Accessed Feb.27, 2009]

 neglected diseases治療薬の開発企業に対するインセンティブに関しては, 2007年にFDAがFood and Drug Administration Revitalization Act(FDA再生法)改訂において打ち出したPriority Review Voucher(PRVs)が注目される28)28)FDA. Amendment to the Food and Drug Administration Revitalization Act. 2007. Available from URL: http://www.fda.gov/oc/initiatives/HR 3580.pdf [Accessed Feb. 23, 2009]。 これは,neglected diseases治療薬を上市した企業に対し,他の薬剤の承認申請時にPriority Reviewを受ける権利を与えるものである。 Voucherは薬剤の種類を問わず使用でき,第三者への譲渡も可能である。 思い切った施策であるといえるが,neglected diseases治療薬のような通常のインセンティブが有効でない 薬剤の開発を促進するには新たな発想が必要であることを示している。

(2)超稀少疾患治療薬へのHIV方式の適用と仮承認制度の導入

 先天性代謝異常症,稀少癌,小児難治性てんかんなど超稀少疾患の治療薬に対する承認要件の見直しを行うべきである。 具体的には,超稀少疾患へのHIV方式(HIV感染症治療薬で採用されている海外データでの事前評価など)の適用と仮承認制度の導入である。

 前項で述べたように,各地域の産業界・規制当局間の情報共有化は,早期のライセンシングを促進すると考えられる。 しかし,世界同時開発を行ううえでの課題は多く,情報共有化がなされていたとしても,国際共同治験への日本の参加は困難である場合, 海外データ利用が困難で日本単独でのデータ収集が必要となる場合がある。

 米国,EUでは,重篤・致死的疾患の治療薬で早期に医療現場に提供する必要があると判断される薬剤については, 通常の承認要件を満たさない場合でも,市販後に収集すべき情報についてコミットメントを明らかにしたうえ, 仮承認を行うことがある。米国,EUにおける仮承認制度の概要を表12に示す(これらの制度の位置づけや適用はおのおの異なるが, 本稿では「仮承認制度」と呼ぶこととする)。

 米国におけるaccelerated approvalは,重篤・致死的疾患の治療薬で, 代替エンドポイントにより臨床的有用性が予測できると考えられる薬剤について与えられる29)29)FDA. New drug, antibiotic, and biological drug product regulations; accelerated approval. Federal Register 1992; 57(239): 58942−60. Available from URL:http://www.fda.gov/cder/guidance/ append4.pdf [Accessed May 10, 2007]。 通常,承認の際には,真のエンドポイントを用いた臨床試験が実施中であり,市販後に結果を提出することが要求される。 本研究の対象薬剤のうち34薬剤がaccelerated approvalを受けており,temozolomide,nelarabine,clofarabineなどの稀少癌治療薬が多かった。

 EUでは,「通常の承認」(normal approval)のほかに,approval under exceptional circumstancesおよび conditional approvalという仮承認制度がある。approval under exceptional circumstancesは, 1995年にEMEAのcentralized procedureによる一括承認制度の開始とともに始まった制度であり,超稀少疾患など患者数がきわめて少なく, 通常の承認要件を満たす十分なデータ収集が困難である場合に適用される30)30)EMEA. Guideline of procedures for the granting of a marketing authorization under exceptional circumstances, pursuant to Article 14(8) of regulation (EC) No 726/2004. London: 2005. Available from URL:http://www.emea.europa.eu/pdfs/human/ euleg/35798105en.pdf [Accessed May 10, 2007]。これにより承認された代表的薬剤は, 先天性代謝異常症治療薬であるagalsidase betaや,稀少癌治療薬であるnelarabineなどである。 conditional approvalは,2006年に開始された新たな仮承認の仕組みである。通常の承認要件に相当する十分なデータは収集されていないが, 重篤・致死的疾患で有効な既存治療が存在せず,当該薬剤への早期アクセスが妥当と判断される場合に与えられる31)31)EMEA. Guideline of the scientific application and the practical arrangements necessary to implement commission regulation (EU) No 507/2006 on the conditional marketing authorization for medicinal products for human use falling within the scope of Regulation (EC) no 726/2004. London; 2006.   Available from URL:http://www.emea.europa.eu/pdfs/human/ regaffair/50995106en.pdf [Accessed May 10, 2007]。 通常の承認要件を満たすデータが市販後に収集されることを前提としており,早期アクセスを可能とする仕組みという観点から, 本来の意味での「仮承認」であるといえる。承認の有効期間は1年間であり,必要に応じて更新される。 この適用を受けた代表的な薬剤は,腎癌を対象としたsunitinib,小児難治性てんかん治療薬であるstiripentolなどである。

 これらの仮承認制度は,通常の承認要件を満たすことが困難である状況を想定し,条件を設定した上で有用な治療薬への早期アクセスを可能とするものである。 日本においてはこのような仮承認制度はない。それにかわり承認の際に「承認条件」を付すことが行われている。 大半の稀少疾患治療薬,「未承認薬使用問題検討会議」での決定に基づき海外データの活用により承認申請が行われた薬剤などについては, 「承認条件」として市販後全例調査が義務付けられている。これは一見欧米の仮承認に似た対応であるが, 不足情報を明らかにし,正式な承認を受けるためのコミットメントを定める欧米の制度とは異なる。 数年前には日本人での治験実施が要求されていた先天性代謝疾患などの超稀少疾患治療薬に対し「未承認薬使用問題検討会議」が海外データでの承認申請を決定したことは, 切迫した医療ニーズを踏まえての例外的措置であり,仮承認の考え方を明示したものではない。

 患者数がきわめて少なく国内でのデータ収集が困難である一方,海外では一定のデータ収集が行われている疾患の治療薬,たとえば患者数が100人未満である先天性代謝異常症などでは, HIV感染症治療薬と同様に,海外データパッケージを原文のまま受け入れて事前審査を行うなどの措置とともに, 仮承認制度の導入により早期アクセスを実現させる方策を採ることは妥当であると考えられる。 また,通常の承認要件と仮承認の要件のちがいを明確にし,仮承認が可能となる条件とコミットメントに関して規制当局の考え方を明示することは, 超稀少疾患治療薬の開発計画を立案する上で有益であると考えられる。

(3)オーファンドラッグ制度の見直し

 超稀少疾患治療薬の開発を手がける企業へのインセンティブ拡大を目的とし,オーファンドラッグ制度の見直しを行うことが有効であると考えられる。

 米国,EU,日本におけるオーファンドラッグ制度の概要を表13に示す 3232)FDA. Orphan Drug Act (as amended) Available fromURL:http: //www.fda.gov/orphan/oda.htm [Accessed Dec. 1, 2006], 3333)EMEA. Orphan drugs and rare diseases at a glance. London; 2007. Available from URL:http://www.emea.europa.eu/pdfs/human/ comp/29007207en.pdf [Accessed Dec. 1, 2006], 3434)EMEA. Committee for orphan medicinal products Rules of procedure. London; 2007. Available from URL:http://www.emea.europa.eu/pdfs/human/ comp/821200en.pdf [Accessed Dec. 1, 2006], 3535)European Commission. Guideline on the format and content of applications for designation as orphan medicinal products and the transfer of designations from one sponsor to another, 9 July 2007. Brussels; 2007. Available from URL:http://www.emea.europa.eu/pdfs/human/ comp/628300en.pdf [Accessed Dec.1, 2006], 3636)医薬基盤研究所. 稀少疾病用医薬品開発振興業務. Available from URL:http://www.nibio.go.jp/shinko/orphan. html[Accessed Dec.10, 2006]37)37)白神誠, 中井清人. オーファンドラッグ開発の現状の分析. 臨床薬理 1999; 30(4): 681−701.。 対象疾患の稀少性,利益の見込めない医薬品の開発に対する支援など,考え方は共通している。 各地域ともインセンティブとして挙げられているのは,開発計画立案に際しての規制当局の支援,経済的メリット,実質的な審査上の優先措置であり,一見類似している。

 米国・EUと日本との相違は,制度の内容より,稀少疾患治療薬の開発を手がけるベンチャー企業の存在とそれらに対する支援のあり方であると考えられる。 米国では,小規模で開発経験の少ないベンチャー企業が稀少疾患治療薬の開発を行うことが多く,開発計画への支援や助成金交付はインセンティブとなる。 日本の現行のオーファンドラッグ制度は,開発直接費用の一部還付であり,費用算定のための煩雑な事務作業が必要である。海外ベンチャーが創製した薬剤であっても, 日本では一定規模の製薬企業がライセンスを受けることが多く,その場合,費用還付は煩雑な事務作業を行うに値する大きなインセンティブとはならない。 稀少疾患治療薬開発経験を持つ企業のインタビューでは,開発費用の一部還付は経済的インセンティブとはならず,現行のオーファンドラッグ制度の恩恵は少ないとのコメントがあった。

 患者数100人未満など,きわめて患者数の少ない超稀少疾患の治療薬の開発については,現行のオーファンドラッグ制度の見直しによる, あるいは別枠での支援が必要であろう。日本においても,自ら創薬は行わずライセンスを受けて開発を行う企業が数社登場している。 新規企業は,人材の獲得や育成を含め,開発直接経費以外の支出が必要である。超稀少疾患治療薬を優先的に開発する企業に対し, 費用還付ではなく一定額投資を行うなどの方策がより有効であると考えられる。大企業では超稀少疾患の優先順位は低くならざるを得ないが, 超稀少疾患を専門に手がける企業が育成されれば,ライセンシングも行いやすくなると思われる。

(4)ドラッグラグを前提としたコンパッショネートユース制度の整備

 早期の情報共有化とライセンシング促進,仮承認制度導入などによっても,依然日本では開発・承認申請が行われない薬剤は残るであろう。 「未承認薬使用問題検討会議」で開発促進が決定されながら,患者数が数人である疾患の治療薬や, 重篤副作用が問題となる薬剤では開発が断念されている例がある。開発企業を募集してもなかなか決定しない例もある。 ドラッグラグが完全になくなることはないという前提で,アンメットニーズに対応する施策は必要である。

 米国,すべてのEU加盟国,カナダ,オーストラリアなどの先進国には, 未承認薬を一定のルールの下に使用する制度 (一般にコンパッショネートユースといわれる)が整備されている38)38)辻香織. 未承認薬使用に関するヨーロッパ各国の制度. 医療と社会 2008; 18(2): 243−56.表14に,米国,EU加盟国,日本における未承認薬使用制度の比較を示す。EUには統一された制度はなく各国の規制に委ねられているため, 代表例としてイギリス,フランスを挙げる。米国では未承認薬使用は臨床試験の枠組みで行われており, イギリスでは資格を持つ輸入者による通知制,フランスでは審査・許可制が採られている。

 一方,日本にはこうした制度がなく,医師の個人輸入という形で未承認薬が使用されている37)37)白神誠, 中井清人. オーファンドラッグ開発の現状の分析. 臨床薬理 1999; 30(4): 681−701.。 医師が個人輸入を行う場合には地方厚生局の確認印(薬監証明)を受けて通関する必要があるが, これは未承認薬輸入が業としての輸入に相当しないかを監視する目的で行われているものであり, 患者ごと,薬剤ごとの使用の可否を判断して許可する仕組みではない。使用条件は定められておらず,副作用報告を含め使用実績が蓄積されることもない。

 筆者らが行った未承認薬使用実態に関する調査研究により,重篤・稀少疾患治療薬に限らず,さまざまな薬剤の個人輸入が無制限に行われていることが明らかとなった13)13)Tsuji K, Tsutani K. Personal imports of drugs to Japan in 2005: an analysis of import certificates. J Clin Pharm Ther 2008; 33(5): 545−52.。 2005年に10件以上の輸入が行われた未承認薬44薬剤のうち抗癌剤は18薬剤であったが,それ以外の26薬剤をみると, 抗肥満薬,脱毛症治療薬,にきび治療薬など,重篤で緊急性が高いとはいえない疾患の治療薬が多数輸入されていた。 本研究は薬監証明による医師が個人輸入を対象としているが,日本においては薬監証明によらない患者の個人輸入が容認されており, その実態は把握不能である。未承認薬の使用にルールが設けられていない現状は是正されるべきである。

 ドラッグラグがもっとも小さいといわれる米国やイギリスにおいても,未承認薬使用制度は整備されている。 一定のルール下に未承認薬にアクセスする何らかの方法が必要であるという認識があるためである。 海外で承認された薬剤の当該国での承認が遅れる場合のみならず,何らかの理由で当該国での開発が断念された場合や販売中止となった場合, 何らかの理由で欠品が生じた場合など,ドラッグラグにはさまざまな背景がある。ドラッグラグが解消されることは望ましいが, 同時に,常に存在するアンメットニーズへの対応は国の制度として整備されるべきである。「有効で安全な医薬品等を迅速に提供するための検討会」では, コンパッショネートユース制度について議論があり,2007年7月,制度化に向けた議論を開始することが決定したが, その後の進行状況は明らかにされていない18)18)厚生労働省. 有効で安全な医薬品を迅速に提供するための検討会. Available from URL:http://www.mhlw.go.jp/shingi/other.html# iyaku [Accessed Jan. 20, 2007]。コンパッショネートユース制度は,当該国の医療制度のさまざまな側面を考慮して整備する必要がある。 制度導入に向けた議論が速やかに開始されることが望まれる。

4.6. 総括

 米国,EU,日本のいずれかにおいて承認された新医薬品398薬剤を対象とした分析の結果, 日本には顕著なドラッグラグがあることが明らかになった(日本の承認割合55.3%,承認ラグ中央値41.0ヵ月)。

 日本におけるドラッグラグは,海外オリジンの薬剤の承認の遅れにより生じており,承認ラグの構成要素として大きいものは,審査の長期化ではなく開発着手の遅れである。 薬剤の臨床的重要度は開発のインセンティブとはなっておらず,臨床的に重要な海外オリジンの薬剤の遅れが問題となる。

 開発着手遅延の要因としては,i)患者数がきわめて少数,あるいは市場が小さい, ii)日本法人が存在しない,日本でのライセンス先が決まらない,などが考えられた。 神経系,稀少癌,先天性代謝異常症では,これらの要因が重複してみられる。

 現行施策は治験と審査のスピードアップを目指したものであり,開発着手遅延に対しては有効ではない。 ドラッグラグの解決のためには,i)世界での開発開始時点での情報共有化(産官連携による情報収集とライセンシング促進), ii)超稀少疾患治療薬へのHIV方式の適用と仮承認制度の導入,iii)オーファンドラッグ制度の見直し, iv)ドラッグラグの存在を前提としたコンパッショネートユース制度の整備が有効であると考えられる。

 【謝辞】 博士課程在学中より本論文完成までの4年余にわたりご指導・ご助言をいただきました, 東京大学大学院薬学系研究科医薬政策学講座 津谷喜一郎特任教授に心より深謝申し上げます。

 本論文執筆にあたり貴重なご助言をいただきました東京大学大学院薬学系研究科 関水和久教授, 松木則夫教授,木村廣道特任教授,澤田康文特任教授,磯貝隆夫特任教授,小野俊介准教授,日本大学薬学部 白神誠教授に深謝いたします。

 博士課程在学中より3年間にわたり最良の研究環境をいただいた財団法人医療科学研究所 森亘理事長, 嶋口充輝所長,高岡庸児専務理事,内山武之事務局長,五十嵐裕子氏,中村秀子氏,今上妙子氏に心より感謝いたします。 また,本研究遂行にあたりご助言いただいた西三郎理事,姉川知史評議員,池田俊也評議員,研究員の皆様に感謝いたします。

 本研究の共同研究者として,研究協力および財政面での支援をいただいたRHC USA Corporation Yong Sa Lim社長,皆川みと氏,社員の皆様に感謝いたします。

 最後に,研究生活を理解し,常に支えとなってくれた娘の梨絵子に心から感謝いたします。