綿田 本日は,糖尿病治療について,ガイドラインの内容などを検証しながら,専門家の先生方にご意見をうかがっていきたいと思います。
まずは,国内における糖尿病治療の指針となっている『糖尿病治療ガイド 2008−2009』(日本糖尿病学会編)を取りあげたいと思います。 これは,実地医家の先生方を対象に,糖尿病治療のあり方をまとめたものです。「治療」の章に,糖尿病治療の目標が示されています。まず,最終治療目標として,次のことが掲げられています。
『健康な人と変わらない日常生活の質(QOL)の維持,健康な人と変わらない寿命の確保』。 そのためには,『糖尿病細小血管合併症,動脈硬化性疾患の発症,進展の阻止』 をめざすことが必要であり,そのためには 『血糖,体重,血圧,血清脂質の良好なコントロール状態の維持』 が必要としています。
はたして,それぞれの項目はこれで十分なのでしょうか。
金藤 Steno−2 study では,血糖,血圧,脂質を厳格にコントロールすることで,大血管障害や細小血管障害の進展が抑制されていることなどから考えますと, やはり,この 3 つのコントロールは非常に重要と思います。
綿田 やはりトータルのケアですね。ご追加はありませんでしょうか。
藤本 糖尿病治療ガイドでは,細小血管合併症,大血管障害,つまりマイクロとマクロが並列で示されています。 ただ,脂質のコントロールは,特に大血管障害の予防の比重が高いように思います。 血圧,脂質コントロールの重要性は,高血圧や動脈硬化の治療ガイドラインにも糖尿病患者についての記載があり,このガイドでも強調されています。
体重のコントロールは,肥満が良くないのは明らかですが,どこまで痩せたらよいのかというエビデンスはまだ出されていません。
綿田 このガイドでは血糖値以外に関しては,明確に目標値が述べられています。 特に体重については『BMI 22 くらいが長命であり,かつ病気にかかりにくいという報告(日本,米国)がある。』,『BMI 25 以上は肥満とする。 肥満の人は当面は,現体重の 5%減を目指す。』と設定されています。ただ,藤本先生のご指摘のとおり,明確なエビデンスはありません。 血圧に関しては,『収縮期 130 mmHg 未満,拡張期 80 mmHg 未満』となっています。
また,欧米では 100 mg/dL 以下とされる LDL コレステロールは 120 mg/dL 未満とされています。脂質の値は欧米とかなり異なっていますが,日常診療ではどうされていますか。
金藤 糖尿病患者さんに対しては,やはり 120 mg/dL を目標にしています。冠動脈疾患などの既往もある場合には,100 mg/dL を目標にしています。
大杉 他の脂質とのバランスもありますが,高い場合には当然下げる必要はあります。 それで,120 mg/dL くらいに落ちたらスタチンの量を加減してもよいのかといえば,そうではなく,下げれば下げるほどよいのだろうと思います。
藤本 副作用がなくコンプライアンスが良い人が下がりすぎた場合でも,わざわざ調整して戻すということはあまりありません。 欧米でもさらに目標値を下げたほうがよいという意見もあります。その意見に私が影響を受けているのかもしれませんが, 実際は,臨床検査に明らかな異常がみとめられなくとも,服用すると「疲れるから」,「しんどいから」とスタチンの使用を継続できない人が多く,結局は下がらない人がかなりいらっしゃいます。
綿田 たとえば,ある時 140 mg/dL だったけれど,次の採血では 118 mg/dL,また次は上がっていた,という人もかなりいます。 1 回でも超えたら,治療を開始されていますか。
金藤 まずは,食習慣を確認し,卵や油物などの摂取量が多い患者さんに対しては,それらを控えめにするように説明しています。 それで LDL コレステロールが正常化した場合には,薬物治療はしていません。日常診療において,このようなケースも多いです。
また,程度にもよりますが,中性脂肪と LDL コレステロールの両方が高い場合,LDL コレステロール値を重視しています。
藤本 中性脂肪は生活習慣が大きく影響してきますので,薬物治療より食事療法のほうがはるかに効果はあります。
綿田 糖尿病治療ガイドには,主要な治療目標となる血糖値ついて,『細小血管症の発症予防や進展の抑制には, 「血糖コントロール指標と評価」の「優(HbA1c値 5.8%未満)または良(HbA1c 6.5%未満)」を目指すように心掛ける。』と記載されています。 『個々の症例によって,年齢と合併症に応じて適切な当面の治療目標を設定すべきである。』としています。 この表現はあまり具体的ではないように思われますが,患者ごとに目標を設定されているのでしょうか。
金藤 目標をゆるく設定する場合はあります。たとえば,予後がかなり明確な悪性腫瘍の患者さんに対しては,「良」まで必要はないかと思います。
大杉 予後が限られているのだから,糖尿病治療を厳格にする意味がどれほどあるのか,ということですね。 しかし一方で,“治療を頑張って実行している”というある種の達成感が,患者さんの励みになることもあります。 さまざまなバランスがあり,あまりに多くの個別例が生じています。これらが,糖尿病治療ガイドでは表現しにくい,または表現しきれない点だと思います。
金藤 私の患者さんにも,予後は悪くても,毎日何回も血糖測定を行い,糖尿病治療を頑張って,HbA1c値を良好に保っておられる方がいます。 確かにこのような患者さんにとっては,血糖コントロールを行っていくことが生きがいになっていると思います。
綿田 悪性腫瘍の患者さんに「糖尿病治療は必要ないです」と言うと,見捨てられたような気持ちになってしまう懸念もありますね。
金藤 もちろん,悪性腫瘍の患者さんに対して血糖コントロールの目標をゆるめる場合でも,患者さんに直接「糖尿病治療は必要ないです」と言うことは良くないと思います。
綿田 高齢者に対する具体的な指標についてはいかがでしょうか。
藤本 高齢の患者さんでは,まず腎機能を重視しています。特に経口血糖降下薬の服用者は, 血清クレアチニン値から eGFR(推定糸球体濾過量)値を算出し,腎機能を把握しておくことが肝要です。 介助が必要な重症低血糖を起こした患者の使用薬剤は,インスリン療法とスルホニル尿素(SU)薬が半々です。 さらに,重症低血糖出現に関して SU 薬が原因であった方は,高齢者が大部分です。 しかも,ふだんの HbA1cは 5%台といった人が多く,特に高齢者の SU 薬使用者については,腎機能の低下に留意し,あまり厳格なコントロールとしないことが,安全面で重要です。 専門外の先生方が糖尿病患者を診療されたときに,治療ガイドだけでは,このあたりが理解しにくいかもしれませんが,ある程度,年齢に応じた治療法を考えていくべきだと思います。
綿田 それでは“経験で”という対応になってしまいますね。
藤本 そこを具体的に言えたらよいのだと思います。どういう場合に糖尿病専門医に回すべきか,という視点からの指針も必要かもしれません。 また,日本は世界で類のない超高齢社会に突入しています。高齢糖尿病患者に何を注意したらよいかという具体的な提言が,より必要とされてくるはずです。 そのためには,エビデンスをつくる必要もあります。
綿田 糖尿病治療における最大の足かせは低血糖症状の出現です。低血糖症状については,いかがでしょうか。
金藤 厳格すぎるコントロールはやはり低血糖の原因になります。特にひとり暮らしの高齢の患者さんに対しては,注意が必要です。 また,低血糖に無自覚となっている患者さんにも注意が必要です。
藤本 ACCORD(Action to Control Cardiovascular Risk in Diabetes)研究では,強化療法群のなかで HbA1c値の改善があまりみられない人のほうが死亡率は高かったという結果が出ました。 それは,食事療法がうまくできていない人に治療だけを強化すると低血糖が起こりうるということを示しているのではないでしょうか。 この研究から,大血管障害が進行した患者に機械的な治療を行うと,低血糖発症のリスクが高まる,ということも言えると思います。
綿田 では,絶対に「優」をめざすべき人とはどういう患者なのでしょうか。
藤本 発症早期の人は別にして,薬物治療が必要な患者で「優」をめざすべき人は,本人のモチベーションが高くなければなりません。 食生活や運動などを含めて,生活習慣の改善をきちんと行い,そこで初めて目標に近づきます。私たち医師が決めるのではなく,患者自身に目標設定していただくという面があると思います。
綿田 SU 薬を投与しなくてはならない患者さんで「優」をめざしますと,どこかで低血糖が起こっている可能性が高いと考えられます。 このような患者には,どう対処されていますか。
金藤 10 年,20 年という療養期間が長い患者が急に「優」をめざそうとすると,低血糖の危険が伴います。 しかし,発症して間もない,SU 薬投与前の患者さんは「優」をめざし,できるだけ厳格にコントロールするほうがよいと思います。 実際に ACCORD や ADVANCE(Action in Diabetes and Vascular Disease)のサブ解析でも, 病歴が短い患者さんでは比較的良好な結果が得られていて,逆に病歴が長い患者さんでは,重症の低血糖が出現したというデータが出ています。
大杉 もし低血糖を出すことなく血糖値を正常化できる薬剤や治療法があるなら,全員が「優」をめざすべきだと思います。 しかし,今はそれができません。食前,そして食後と,正常な血糖パターンを維持できる薬剤がないからです。「良」あたりを目標値にしても,低血糖は必発であると言えます。 強引に血糖値を下げ,血糖パターンを崩す治療を行うしかない,という点が,糖尿病治療の難しいところではないでしょうか。
藤本 塩酸メトホルミンや SU 薬の使用により「優」をめざしている人は,食間・食前の血糖値はよく下がっています。 しかし,優のレベルのコントロールでは,食後血糖の比重が HbA1cに対して相対的に高まってきますので,食後血糖のコントロールが重要となります。 空腹時ばかり下げていると,低血糖を起こしやすくなります。そこで,食後血糖も下げていくためには, α−グルコシダーゼ阻害薬(α−GI),あるいは最近発売された DPP−IV 阻害薬を併用しなければなりません。 いずれにしても,厳格な血糖コントロールは低血糖のリスクを高めますので,患者自身にそこを理解していただくことが前提になります。
綿田 どういう患者が「優」をめざすべきか,先生方のお話のおかげで感覚的にはわかりますが,定義,具体的なカットオフ値の設定はたいへん困難ですね。