■治療学・座談会■
ブタインフルエンザ流行の検証と展望
出席者(発言順)
(司会)岩本愛吉 氏(東京大学医科学研究所先端医療研究センター感染症分野)
岡部信彦 氏(国立感染症研究所感染症情報センター)
河岡義裕 氏(東京大学医科学研究所感染・免疫部門 ウイルス感染分野)
工藤宏一郎 氏(国立国際医療センター)

パンデミック対策

■流行のピーク予測

岩本 厚生労働省の予測では,10 月ころにいったんピークとなり,その後に季節性インフルエンザの冬に向かうということでした。 この流行予測をどのようにごらんになりますか。

岡部 あれは予測ではなく,モデルのひとつを示し,流行拡大への備えを促すものであったと理解しています。 ピークを想定し,医療体制などの準備をしてくださいという情報提供のひとつであると思います。 しかし,たとえ 10 月にピークがあってもそのまま終わるのではなくて,冬には本格的なインフルエンザシーズンがやって来るのではないかと思います。

河岡 学級閉鎖や休校をしっかり実施すれば,流行のピークは 12 月くらいまで徐々に延期するのでないかと考えています。 年末に下火になり,年始で季節性のインフルエンザシーズンが来て,また患者が増加すると思われます。

岡部 新型のために,季節性インフルエンザがすっかりなくなるだろうと,あまり楽観視はできないと思います。 メカニズムはわかりませんが,むしろ H3N2 のようなものは,今はまさしくシーズンではないので,沈静化しているだけではないでしょうか。 11 月,12 月になれば,H3N2 あるいは B 型が一緒になって現れる可能性はあると思います。 それで駆逐されるような H1N1 であればよいのですが,現状のようすでは,季節性もある程度加わってくると思います。

■ワクチン接種よりも抗ウイルス薬の活用

岩本 抗ウイルス薬や,ワクチン,医療体制について,お願いできますでしょうか。

工藤 ワクチンが大量にあるのなら,多数の人に接種することは非常に有効だと思いますが,現状は,残念ながら間に合いません。 それで,パンデミックへの対応は,日本にある抗ウイルス薬 5000 万人分を上手に活用することだと考えています。

 海外では,抗ウイルス薬投与の遅れから,肺炎が重症化し死亡者が増加しました。抗ウイルス薬の使用により,ウイルスの増殖を抑え,重症肺炎などへの進行が抑えられます。 また,ヒトは感染しても,ウイルスに対する免疫系を賦活させ,治癒に向かう。そういう個が多数になれば,集団の圧力でウイルスの勢いを抑えることも可能です。

 抗ウイルス薬の有効活用,そして重症化しそうな患者を早期発見して対処する,これらが非常に大事だと思います。

河岡 現行のインフルエンザウイルスのワクチンは不活化ワクチンです。 その接種は,季節性インフルエンザに感染したことのある人の,すでに存在する免疫を強化するものです。

 一方,日本が世界で最も恵まれているのは,身近に抗ウイルス薬があることです。医師が使用に慣れているし,一般市民も抗インフルエンザウイルス薬の重要性や役割を理解している。 しかも,薬剤が十分に確保されている。多くの場合,抗ウイルス薬でなんとかなると思います。

 ただ問題なのは,日本の医師はこれまで,抗インフルエンザウイルス薬の処方を,診断キットとセットで行ってきたことです。 新型インフルエンザの流行では,診断キットで陰性でも,状況を臨床的に判断し,抗ウイルス薬を処方してほしいと思っています。

岩本 陰性でも処方せよということですね。

河岡 はい,診断薬に頼るなということです。

工藤 メキシコでも実際,診断薬の備蓄量はそれほど多くなかったでしたが,抗ウイルス薬の投与で第一波のパンデミックを収めています。

■備えとして不可欠なワクチン

岡部 病気はかかるよりはかからないほうがよいので,ワクチン接種も重要な予防の一手段です。 ただ,季節性インフルエンザのワクチンについては効果と有害事象がある程度わかっていますが,新型インフルエンザのワクチンでは,未知数の部分も含まれると思います。 ことに新たに開発されたワクチンは,治験の結果もまだ明らかになっていないので,さらに未知数の部分が多くあります。

 また,どのワクチンも,病原体が判明してから本格的な開発・製造を開始します。当然,製造までに時間がかかります。 インフルエンザワクチンは確かに流行初期には間に合わないかもしれませんが,その後の備えには当然なると思います。 それだけに,ある程度慎重に,あまりあわてて不明のまま見切り発車で導入に,ということではないほうがよいと考えています。

 ワクチンが本格的に導入されるまでは,日本の場合,すでに多く使った経験のある抗ウイルス薬があります。早期治療が可能な日本は,その点非常に有利です。

■求められる真の医療体制の整備

岡部 患者数が増加すれば,低い割合であっても重症になる人の数が増加する可能性はあります。 軽症であるからといって,大多数の患者をそのままにするわけにはいかないので,外来のあり方などを工夫する必要があります。 ですが,この際に最も力を入れなくてはいけないのは,重症患者への医療体制の確保です。 インフルエンザの流行が何か月も続くわけではないので,ある期間,重症患者を診る体制をやりくりし,増加する外来の医療体制を一時どうするか。 これには,各医療機関が真剣に取り組んでほしいと思います。

工藤 日本の医療レベルは高いと思います。しかし,診療体制に問題があります。 特定の限られた医療機関で患者を全員引き受けることになれば,その医療機関は破綻してしまいます。 地域の医療連携が,日本はまだ十分ではないので,各地域内で医療連携を確立することが重要です。 中央の施設に検体を送らなければ診断できない,重症患者は限られた施設でしか治療できないのであれば,実際的ではありません。 たとえば東京なら,いくつかのエリアに分けて,そのなかで連携をとり,実地医家,一般病院,基幹病院などに患者を振り分けていく必要があります。 同時に医療機関は,新型インフルエンザの患者だけを診療しているわけではないので,一定期間だけでも,分業体制を構築する必要があります。

 実際にはなかなか困難です。率直に言うと,障害になるのは,社会がもつ感染症に対する嫌悪です。 嫌う理由のひとつは,医師が自分も感染しないかと不安になることで,これは,技術の向上で,ある程度改善できます。 もうひとつは,感染者の受診により,他の患者が逃げてしまう可能性があることで,医療の財政的運営に関係してきます。 このあたりを解決しないと,単なる倫理観からだけでは,実現は困難です。行政あるいは政治的な対応で,強力に推進する必要があると思います。 これは,今回に限らず,他の疾患のパンデミックの備えにもなります。

岡部 重症患者が発生した際に,ICU 病床や人工呼吸器が足りないという現状がありますが,たとえ物理的なことは改善できても, 感染症を診る医師,呼吸管理ができる医師の数が実際にはそうはいないと思います。 新型インフルエンザ対策は,現状の医療に対して,医療そのものの問題を突きつけられているのではないでしょうか。 日本はそれでもしっかりしているほうだとは思いますが,医療の基盤となる医療体制の充実,医療の信頼の回復,そして医学研究の充実など, 大きな視野に立って議論していかないと,パンデミックに対する真の対応は不可能だと思います。

 このパンデミックはおそらく,数か月たてば治まります。それで困るのは,のどもとを過ぎたら忘れられてしまう可能性があることです。 そしてまた将来,次のパンデミックで同じような大騒ぎをすることはないように,われわれは次の世代にパンデミック対策の経験と学んだことを,きちんと伝えていく必要があります。

 またワクチンで言えば,現状ではワクチンが強く求められていますが,一件でも事故らしきことが起きたとなると, 一挙に熱がさめ,ワクチンは危険であるという方向に流れてしまうことも危惧されるところです。 そうなると,一時期の日本脳炎ワクチンのように,国内で使えるインフルエンザワクチンが当分消えてしまう可能性があります。

 地に足をつけた対策をきちんと講じないと,足をすくわれると思っています。

 小児に関して追加すると,季節性インフルエンザで起こりうる急性脳症を,新型インフルエンザにおいても同程度あるいはそれ以上の問題として認識しておく必要があります。

 インフルエンザ脳症は,発熱後 24〜48 時間で発症するので,抗ウイルス薬の投与も間に合いません。 ただ,発症は防げないかもしれませんが,予後はかなり改善されてきています。 これには,早期発見と早期治療が大きく影響を与えています。軽症患者が多くいるなか,そのなかの重症者をいかにピックアップするか。 そのためには,重症化の指標となる症状のとらえ方を多くの人に伝えること,そして工藤先生がおっしゃったように, 現状で実現可能なこととして,分業による医療体制をきちんと構築する必要があると思います。

■高病原性鳥インフルエンザ発生の展望

岩本 最後に,高病原性鳥インフルエンザの流行について展望してくださいますか。

岡部 ブタインフルエンザの出現により,高病原性鳥インフルエンザの危惧が消え去ったわけではありません。 H5N1 は,依然鳥類のあいだでは流行していますし,またエジプトやインドネシアでは感染者が出ています。今後も注意深く見守り,対策を講じていく必要があります。

河岡 インフルエンザやウイルスの研究者は,トリとブタの両方のインフルエンザウイルスを兼ねているので, 現在,H1N1 のブタのほうしか注目していません。H5N1 までは手が回らないという状況にあります。鳥インフルエンザについては,何も言えません。

工藤 鳥インフルエンザの患者は,インドネシア同様,ベトナムでも患者数は減り続けています。 それでも,消滅してはいません。今回のブタインフルエンザ流行時でも,ベトナムでは H5N1 は 2,3 例出ています。 死亡者もいるので,H1NI と H5NI がどのように推移していくかについては,非常に関心をもっています。 特に H5 の場合,ほとんどの人が重症化するので,時間を置かず抗ウイルス薬を投与して,予後を改善しなくてはなりません。

岩本 本日は,貴重なお話をありがとうございました。

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