■治療学・座談会■
流行の把握と施策の重要性
出席者(発言順)
(司会) 岩本愛吉
(東京大学医科学研究所先端医療研究センター感染症分野)
宮田一雄 氏(産経新聞)
生島 嗣氏(NPO 法人ぷれいす東京 専任相談員)
樽井正義氏(慶應義塾大学文学部人文社会学科倫理学専攻)

約 7年周期で開催される世界規模の会議

岩本 本日は,HIV/AIDS に関して,日本の医療を取り巻く状況を明らかにしたいと,医師以外の方々にお集まりいただきました。 まずは,ジャーナリストとして HIV/AIDS の問題に長く関わってこられた宮田一雄さん,これまでの流れをお話しいただけますか。

宮田 表1をつくりましたので,それにそってお話ししましょう。AIDS の発生を人類が明確に認識したのは,米国 CDC(疾病予防管理センター)の MMWR(死亡疾病週報)で最初の症例が報告された 1981 年 6 月です。 今から 27 年前で,その後 6,7 年周期で世界の指導者によって HIV/AIDS 問題を考え,施策を提案する会議が開かれています。

表1 AIDS 対策上の重要な出来事
西暦 地名 出来事ほか
1981 年 カリフォルニア 最初の AIDS 症例報告〔*ゲイ男性の病気〕
1988 年 ロンドン エイズ対策世界保健大臣会議〔*12 月 1 日が世界エイズデーに〕
1994 年 パリ エイズサミット
〔*GIPA 原則:Greater Involvement of People living with HIV/AIDS〕
1996 年 バンクーバー 国際エイズ会議:テーマ“One World,One Hope!”
1998 年 ジュネーブ 国際エイズ会議:テーマ“Bridging the Gap!”
2000 年 ダーバン 国際エイズ会議:テーマ“Break the Silence!”
2001 年 ニューヨーク 国連エイズ特別総会(UNGASS)〔*コミットメント宣言〕
2004 年 バンコク 国際エイズ会議:テーマ“Access for All!”
2007 年 ジュネーブ HIV/AIDS 最新情報〔*陽性者数,新規感染者,年間死亡者数の減少傾向を確認〕
2008 年 北海道 北海道洞爺湖サミット

 まずは,ロンドンで開かれた 1988 年のエイズ対策世界保健大臣会議。対策には世界的な連携が必要だと言われ始め,その具体的な現れがこの会議です。 ここで,12 月 1 日を“世界エイズデー”とすることが合意され,その年に WHO(世界保健機関)が第 1 回のイベントを行いました。

 それでも感染は徐々に拡大を続け,1994 年にはエイズサミットがパリで開かれています。 その年の夏には横浜で第 10 回国際エイズ会議が開催されており,日本の貢献も小さくなかったと思います。 エイズサミットの結果,GIPA 原則が共同声明に盛り込まれました。 GIPA 原則とは“Greater Involvement of People living with HIV/AIDS(HIV 陽性者のより積極的な参加を)”のことで, HIV 陽性者の声を政策の企画段階から反映すべきだという原則が打ち出されたわけですね。 最初はお題目でしたが,現在は AIDS 対策を考えるうえで大きなウエートを占めるものになっています。

 7 年後の 2001 年にニューヨークで開催された国連エイズ特別総会。これは,国連の半世紀以上の歴史のなかで,ひとつの病気をテーマにわざわざ開催された初の総会でした。

岩本 2007 年 12 月の国際糖尿病デーで,東京タワーが青くライトアップされ,国連で認定された前例がないとも聞きましたが,そうではなかったのですね。

宮田 2001 年に,ニューヨークの国連本部のビルの側面にレッドリボンが登場しました。その前段は 2000 年 1 月 10 日に開催された国連安全保障理事会で,HIV/AIDS の集中討議が行われました。安全保障課題として,ひとつの疾病を取り上げ,しかも集中的に討議したのは,国連史上初めてのことでした。

 それほど AIDS の流行は大きなインパクトをもっていて,国連エイズ特別総会ではコミットメント宣言が採択されました。 宣言の特徴は,世界各国および国際機関,NGO などさまざまなプレーヤーが期限を区切った対策の実施を約束したことで, その期限までにどれだけ約束が守られたのかをきちんと示す必要が出てきました。 約束とは,2003 年までに世界各国が AIDS 対策の国家戦略を作成し,2005 年までに具体化し,2010 年に成果を示すというものです。

 次の 7 年目は 2008 年になります。北海道洞爺湖サミットで,G8 諸国のリーダーらがどのようなメッセージを打ち出すかを注目しています。

 このように,一定間隔で大きな会議が開かれる理由は何か。対策が必要なことは 1988 年にすでに共通認識になっていましたが, 現実にはなかなか有効な対策がとられなかったということではないでしょうか。 6,7 年すると,さぼっていたことが明らかになり,あわてて「やらなきゃ」ということになる。 それで,四半世紀がたってしまったという経過だったのではないかと思います。

 ただ,2001 年以降,コミットメント宣言の成果はまだ不明ですが,2007 年 11 月に UNAIDS(国連合同エイズ計画)と WHO が発表した HIV/AIDS 最新情報では,減少傾向が報告されました。 2006 年版と 2007 年版を比較すると,HIV 陽性者数,新規 HIV 感染者数,年間死亡者数が大幅に減っています。 この減少は推計の精度が向上したためだということで,実は減ったのではなく,今までの推計が多めに報告されていたということになります。 ただし,2007 年版は年間の新規感染者数を,新しい推計手法で過去の値まで算出し直しました。 その新しいデータでみると,年間新規感染者数は,1998 年の約 350 万人から年々減っていき,2007 年には 250 万人となっています。 新規感染は 1998 年がピークで,それ以降は減少に転じているようです。

 この減少傾向は成果のひとつではあるのですが,この事実をどう受けとめるかが大きな問題なのです。

岩本 日本ではまだ報告数が増え続けており,そのギャップは非常に気になりますね。

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