鷲澤 その背景で,われわれを非常に理解しにくくしているのががん治療です。 まやかしのような伝説があったり,栄養を入れるとがんが育つといわれたりもする。 しかし,東口先生が言われたように,バランスのとれた基本からなんらかの治療にシフトするのであって,シフトした時点からのシフトはないと思います。 化学療法にしても,しかたなく生体をいじめるような治療であれば,バランスから外れたことをしているわけなので,普通の栄養管理と環境が変化している。 そこは化学療法なり手術なりの専門家の意見もなければ成立しません。
星野 癌研有明病院ではどのような栄養サポートをされていますか。
比企 鷲澤先生がおっしゃいましたが,個々の多岐にわたるテーラーメイドの栄養管理が非常に大事になっています。 癌研では NST 委員を 1 人おき,必ずそこを窓口にして相談するという体制をとったばかりです。 NST の提案を押しつけるのでなく,一緒に考えるという姿勢でないと成り立たないと感じています。
星野 先生が始められた“命のスープ”についてのご紹介もお願いします。
比企 患者さんの「食べたい」という気持ちを伸ばしていくという意味で, 私どもが試みているのが「命のスープ」と呼んでいるものなのです。 実は,私の患者さんにフレンチの巨匠といわれるシェフがいて,次のような相談を受けました。 「おふくろが胆のうがんの末期で余命 3 ヵ月,ご飯も食べられない状態だが,私の作ったスープを 1 回でもよいから飲ませたいが無理かな」と。 それで「絶食と言った先生には申し訳ないけれども,絶対喜ばれると思うから,ぜひ作ったら」と答えました。 母上はポロポロ涙を流されて喜ばれ,半年ほどそのスープだけは何度も飲まれて亡くなったそうです。
そのシェフから「ボランティアをやりたい。可能であれば,レシピを全部教えるから, 僕のスープを患者さんに飲ませることはできないか」との提案をいただいたのです。 院長も「こんなうまいものを患者さんが食べられるのなら賛成」と,それから 2 年,栄養科もがんばりました。 そうしてそのスープを,緩和ケアの患者さんや,食べられない患者さん向けに提供できるシステムが整ったのです。 おかげさまで好評です。こうした試みは,「食べる」ことへのモチベーションのなかでは「遊び」の部分です。
鷲澤 よく「食欲がない」とひと言で片づけがちですが,今のお話には考えさせられるところがあります。 食べられないという背景に何があるのか。実は「食べたいのに食べさせてもらえない」のか,「こんなところでは食べられない」のか,批判的精神で「いらない」のか, 個々の背景をつかむことは難しい。ことに悪性疾患の方は,死に対する不安が「食べない」という症状に出ますから,心理的なサポートが必要です。
星野 国立循環器病センターの寒川賢治先生がグレリンという食欲を左右する物質を発見されました。 食事摂取を高めるためのヒントになると思います。
比企 グレリンは,胃の迷走神経を介して脳の視床下部にいく食欲を司るという物質ですね。 胃を切除すると食欲を失うのは,胃が小さくなるだけでなく,迷走神経が切れて食欲中枢を刺激しなくなることが考えられます。 私はなるべく臓器を残す手術をしているので,そのへんの関係も研究しています。
グレリンを分泌する物質として注目されているもののひとつに,六君子湯もありますね。
星野 六君子湯の中の陳皮(チンピ)という,ミカンの皮に含まれるフラボノイドが,グレリンの分泌を促進するようです。 ほかに食欲を増すものとして,副腎皮質ステロイド,女性ホルモン,酢酸メドロキシプロゲステロン(ヒスロン H®),スルピリド(ドグマチール®), 塩酸シプロヘプタジン(ペリアクチン®)なども使われます。
鷲澤 六君子湯は使ってみて,確かに食欲が出ることがわかりました。 塩酸シプロヘプタジンは,基本的に使っていきます。私はむしろ,特定の薬剤の効果を期待してというより,治療法がたくさんあることをアピールできる材料としてとらえています。 「そのうちのひとつを試してみようか」と言うと,患者さんは行き詰まらないですむようです。
星野 メンタルにサポートしながら,薬物治療を試みるということでもありますね。
東口 私のところはコミュニティードームというものを 2 年前に作りました。 がんの患者さんや家族をひとつの場に集めたとき,医学的な見地から有益であるというエビデンスが発見できないかという試みです。
最初に出た効果が食欲増進でした。緩和ケアに来る終末期の患者さんは,みなさん医療不信で,さらにうつになっています。 その冷えた心を溶かすのに「あなたは大丈夫です」と私たちが言ってもだめなのです。 医療不信を癒すためには,患者さん同士がなんらかの共有感をもったときに生まれてくる連帯感や安心感がまず必要のようです。
例をあげると,68 歳の方が化学療法の副作用で食べられなくなり,49 日間の絶食を強いられました。 嚥下障害や摂食障害がないにもかかわらずにです。 私のところは GFO をルーチンで投与しており,まず口から全消化管機能の健常化をはかり,消化管を用いるべく環境を整えています。 それでも食べない。ところがコミュニティードームへ一緒に連れて行くと,パクッと食べられるのです。 それがなぜだか明確にはわからないのですが,私たちにはない力が患者さんにはある。助け合う気持ちかもしれません。 人間が集団生活をする,社会をつくる根底的なものがあって,そこで初めて本来の食べる姿,本当の食べる楽しみが生まれてくるのではないでしょうか。
しかし,「終末期の患者にそんなに食べさせてどうするのだ」と,全身のケアよりもがん治療のみを優先するキュアの立場からは言われるものですから, くやしいので,種々の立場から予後因子を継続して探究しています。 すると,予後とサイトカイン・ネットワークとは必ずしも相関せず,むしろ臨床症状ときれいに相関する。 となると,臨床症状が改善したら延命が可能なのではないかという逆説的な論理が頭に浮かびました。 そして実際に,寿命を 3 週間ぐらい延ばせることがわかりました。経口摂取可能期間も延び,がん末期でも QOL の高い状態で長生きできる。 それは,その間に命のスープを飲む期間をつくってあげることなのだろうと思います。
もちろん,身体中のホルモンバランスを改善させたり,普通の人と同様に生活したりできるように努力して,ありとあらゆることを実施します。 しかし,それでもやはり手の届かない領域というのはあります。
鷲澤 緩和医療の概念を少し広げれば,高齢者医療につながると思います。 私がお手伝いしている施設でも,半ば寝たきりで入ってきた方や,胃瘻の患者さんでも,全員を食堂に集めて,そこに居てもらっています。 すると,「私にはどうしてご飯がないの」という顔に始まり,そのうち「私の食事はどこか」と言葉にするようになる。スタッフが食べ物を口に運ぶと,きちんと食べる。リハビリを行うと手も動くようになり,箸も使える。この人がどうして寝たきりだったのか信じられない,といった状況も生まれてきています。
星野 栄養とコミュニケーションは切り離せないものと言えますね。そこで,在宅の場合にはどのような工夫が考えられますか。
鷲澤 おばあちゃんを部屋に閉じ込めておくのではなくて,めんどうでも寝室から食堂へ運ぶことです。 そこに居てもらうだけでよい。胃瘻でもおかずの一部をミキサーにかけて,家族と 1 品くらい同じものを入れてあげる。なかには,毎日ビールを入れている方もいます。
東口 コミュニティードームでも,パーティーをやるとワインを出したりします。少しなめるだけ,においをかぐだけでも意欲が出る。
最近は,緩和ケア病棟から在宅へ帰る人も出てきました。やはり心なのです。心が死んだら復活することはありません。 私たちの仕事では,心をいつでも再生できる状態に設定してあげることが大切です。
星野 私は言わないことにしていますが,「余命はあと 3 ヵ月」などと告知するのは正しくないですね。
東口 私も今,余命とはなんだろうと,深い意味で悩んでいます。たとえば化学療法によって実際のがんの進行度よりもずっと状態が悪くなって心も萎え, 今にも死んでしまいそうな状況から,あえて代謝栄養学を駆使して元気にしていくことが,本当によいのかなと疑問に思うこともあります。 栄養学を駆使しなければ余命は 1ヵ月,代謝を改善させて 2〜3ヵ月生きることができる……しかし,いつかは死を迎えることになります。 そうなると,余命の設定は医者の領域ではなくなってきます。
ですから「この採血をして,この数値が上がったら,1ヵ月ですよ」と言えるものを見つけられないかと探索中ですが,研究すればするほど血液データは明確でなくなってきます。
また,患者さんに「死にたい」と言わせているものが医療であったり,栄養素が不足している状態であったりします。 それらを全部クリアとしたうえで,改めて「本当に死にたいですか」と問うと,「えっ そんなことを言ってましたか」と,かつて毎日のように死にたいと言っていた患者さんが答える。 実はそういう患者さんは多数おられるのです。
星野 私の行っている漢方サポート外来では,余命 3 ヵ月とされた方が,2 年,3 年と生きておられます。 初めの 2 年間は死ぬことばかり考えていた方も,体調の改善とともに「孫が成人するまで生きていたい」と積極的になってくる。 そういう意味で,栄養は,単に身体の恒常性を保つばかりでなく,その人全体を良くすることにつながってきます。 これからの臨床栄養学は,そういうところをめざして,特に緩和ケア,高齢者医療に貢献できるような姿になっていくべきだと思います。
本日はいろいろな興味深いお話をお聞きすることができました。どうもありがとうございました。