星野 本日は,ここ 10 年ほどの間に臨床栄養がどのように変わってきたかを中心に,議論できればと思います。 まず自己紹介を兼ね,なぜ栄養の世界に足を踏み入れられたのかについて,おひとりずつお話しいただければと思います。
比企 現在私は消化器外科,主に腹腔鏡による胃の手術を担当し,栄養サポートチーム(NST)のリーダーを兼任しています。 栄養に関心をもったのは 20 年ほど前,東京大学医学部附属病院分院で学んだのが契機です。 中心静脈栄養法(TPN)発祥の地であり,内視鏡が作られた場所で先輩から教えられたのは, 「人が人に手を下したあとに何が起こるか。ご飯が食べられなくなるのだぞ。術後,そのままに放っておいてよいのか」という外科医の心得でした。 実際にそれをまざまざと見せつけられ,栄養に携わることは患者さんの力になると確信したのです。
癌研有明病院では,NST を組織してから 3 年が経ち,ようやくその重要性が認識されるようになりました。 病院内では「栄養などはどうでもよい」とは言えない状況に変わっています。
鷲澤 私の場合,大学付属病院の組織中に NST という部署をつくってもらい,初めての専任講師となりました。 ただ,自分はまだ医局講座に属しているので,病院長直属の NST の長であっても,立場がわかりにくいまま実践しているという面もあります。
この世界へ入ったのは,先輩には「医者は 10 年かかって一人前になる」と言われていて, まさに 10 年目に入ろうかというころでした。私の学んだ教室はすべての研修をしっかり身につけなければならず, 「将来,消化器外科医になるのだから脳外科はやらない」といった勝手は許されなかったのです。 自分で開頭して血腫の手術もこなせないといけませんでした。 それで最終的に気づいたのは,すべてのところに共通しているものが栄養だということでした。 それが欠落すると合併症を起こしやすい。患者さんを一例一例診るたびに体感的にわかりました。 それから,今日まで続いて 12 年になります。
東口 私は栄養管理に取り組んで約 30 年になります。そもそものきっかけは卒業直後の研修医時代です。 肝・胆・膵の外科の研修システムでは,先輩の手術後の患者さんを診るのが仕事で, 1 年目から術後管理に当たっていました。当時は肝がんでも大きく切除する手術が主流で,わずかに残された肝臓で延命していただく。 大きく切除すると,確かにがんの再発率は低いのですが,合併症,特に肝不全の併発は高頻度でした。 重要な臓器を切除する手術は身体に大きな侵襲を加えていますから,合併症を減らすには痩せた身体を整えることが先決だと考え,独学で栄養を勉強し始めました。
当時,栄養管理を術後早期から行うと先輩に怒られた時代でした。 そこで究極の早期を考えて,術前に栄養アセスメントを行い体力を蓄えるという方法をとりました。 Blackburn の論文をひもとき,出始めのコンピュータを駆使して因子分析をし,術後の合併症に栄養管理が関わるのだという,いわゆる prognostic nutritional index for study を 1983 年に作りました。
ただその後,「栄養をやっても外科医には通用しない」と言われる日々が続いていました。 1990 年にシンシナティ大学の Fischer 教授の門下生となり,その際に NST を学び,帰国後に NST をつくっていったというのが,これまでの経緯です。
星野 本日は,私だけが内科医となります。私の漢方歴は学生時代からで,約 30 年です。 江戸中期に活躍された吉益東洞先生が「腹は生あるの本なり。故に百病はここに根ざす」と言っています。 漢方薬にも胃腸を整えることにより患者を元気にするものが多数あり,たとえば精神疾患であっても,胃腸を手当てすると快方に向かうことがあります。 栄養はどのような領域を勉強するにも必要だと,そのころから思っていました。
実際には,内科の医局に入って消化器をまずやり,卒後 5 年目に中心静脈栄養を研究されていたトロントの Jeejeebhoy 教授の下で, 特にがん栄養や腫瘍壊死因子(TNF)関連の仕事をしました。
癌研有明病院には 4 年前に移り,消化器内科を担当しています。比企先生に協力して NST を立ち上げ,現在は栄養サポートを比企先生にお願いし,私は感染対策の責任者をやっています。