■治療学・座談会■
睡眠時無呼吸症候群の診断をめぐって
出席者(発言順)
(司会)飛田 渉 氏 東北大学保健管理センター
高崎雄司 氏 太田綜合病院 睡眠センター
名嘉村博 氏 名嘉村クリニック
佐藤 誠 氏 筑波大学大学院人間総合科学研究科睡眠医学講座

飛田 山陽新幹線のニアミスが睡眠時無呼吸症候群(SAS)に特徴的な日中過眠に伴う居眠り運転だったことが指摘されて以来, 睡眠医学講座,睡眠医療センター,専門クリニックが各地に誕生しています。 睡眠医療施設は 200 を超えているといわれ,看板を掲げていなくても PSG(ポリソムノグラフィ)や携帯用睡眠モニタを備えている施設を含めると 400,CPAP 治療施設を含めますと 800 を超えているのではないかと思います。

 佐藤先生は睡眠医学講座,高崎先生は睡眠センター,名嘉村先生は睡眠医療を専門に開業されているという,それぞれの立場から,SAS についてのお話を伺いたいと思います。

睡眠医療への道

■SAS との出会いと取組み

飛田 まず,睡眠医療に関わるようになったきっかけをお話しいただけますか?

高崎 恩師が呼吸生理学であったため,私も呼吸生理を専門にすることになりました。 当時この分野で不明であったところは肺の代謝か呼吸調節くらいしかないと考えていたところ, 1978 年,New England Journal of Medicine 誌に Sleep Apnea の論文が載り,おもしろそうだと思い手をつけたのがきっかけです。 当時SAS は罹患率の男女比が 10:1 といわれ,なぜ男性が多く女性が圧倒的に少ないのかについて疑問をもちました。 はじめは,性差の原因として女性ホルモンに目をつけたのですが,その後,呼吸生理学的な解析からさまざまな現象が明らかになったと思っています。

名嘉村 私は呼吸器が専門で,救急もしていました。契機の一つは,SAS と思われる患者の突然死を経験したことです。 そのころ睡眠に関する論文が海外でどんどん出てきたこともあります。 日本にもかなり患者がいるのではないかと,勉強のためアメリカに行きました。 アメリカでは,技師がした検査を医者がスーパーバイズして質を保つ。医者が検査をしてはいけないということです。 いろいろな検査がありましたが,PSG では日本製品のシェアが高かった。 帰ってきて日本製品を使おうとしたら日本向けはないというので,びっくりしました。 浦添総合病院(沖縄県)で本格的に検査を始めたのが 1990 年,一般診療向きのシステマティックな検査室をつくりました。 検査技師にアメリカで専門検査技師としての資格を取ってきてもらいました。日本で第 1 号だと思います。

 クリニックを開業したのは 2000 年です。総合病院が機能分化を図り外来を減らすということで,機械,患者すべてを移しました。 組織は違っても連続的にケアができていると思います。

佐藤 新潟大学に在籍していた私は,1987 年 9 月から呼吸生理の研修を目的に,飛田先生がいらっしゃった東北大学第一内科,瀧島内科に国内留学しました。 当時第一内科では SAS の簡易診断装置アプノモニタ,さらには,その治療器を開発中で,SAS を中心とした睡眠と呼吸の生理の研究を一緒にさせていただくことになったのが SAS との出会いです。この東北大学での経験が,その後の留学生活,新潟での睡眠呼吸障害診療ネットワークの形成, 現在所属する筑波大学人間総合科学研究科睡眠医学講座の開設につながっています。

飛田 私の場合,アメリカ留学から帰ってきて間もない 1981 年,病棟に原因不明の心不全患者が入院しておりました。 大部屋で大いびきをかくので眠れないというクレームがあって,SAS が問題にされつつあった時期でもあり,調べてみたらそうでした。 当時はホルター心電図を用い,心拍数を経時的に調べました。 心拍数が周期的に少なくなったり多くなったりしたことから SAS を疑いました。そのとき瀧島先生から, ホルター心電図と同じように外来で睡眠中の呼吸をモニタできるような装置を開発する必要があるのではないかという宿題をいただいた。 それがきっかけで携帯用睡眠モニタを開発しました。現在のアプノモニタです。このことが睡眠医療に関わるようになった契機です。

■記憶に残る症例

飛田 印象的な症例を紹介していただけますか。

名嘉村 心不全で 50 代後半の男性ですが,6 人部屋に入院し,朝起きたらだれもいなかった。 自分のいびきが原因だと気づき廊下で寝たら,今度は病院全体に響いたのです。患者は呼吸器疾患もあって酸素療法をしていた。 CPAP装置がないころで,ある日,呼吸不全に近くなったので,「入院しないと死んでしまいますよ」と言ったが,入院しない。 奥さんは別室に寝ていたらしいのですが,その日は「今日はそばに来て寝なさい」と言ったそうです。翌朝早く家族から電話があり, 気づいたら息が止まっていたという。突然死の可能性が高いとは危惧していましたが,そのとおりになるとは思っていなかった。

飛田 高崎先生はいかがですか。

高崎 高血圧から心不全になった中年女性で,循環器内科に入院した患者です。 たまたま血痰が出たという理由から気管支鏡で覗いてくれないかと循環器内科の医者に頼まれ, 前投薬をしたとたんに息が止まった。蘇生後,慌ててデータをひっくり返したところ,長い間二酸化炭素が溜まっていたことが判明しました。 胸部 X 線単純写真,肺機能はまったく正常だし何か変だということで,突き詰めていったら原発性肺胞低換気症候群と判明しました。 横隔膜ペーサーを用いたところしばらくの間よく効いた。一件落着と思っていたら,夜だけ横隔神経を刺激したため閉塞型 SAS になりました。 そこで CPAP を用いたところ,また良くなった。今度は 2〜3 年後,横隔神経の電気刺激が肩のほうに放散して激痛を伴うようになってしまった。 このため最後には NPPV で治療して 78 歳までほとんど問題なく生活されました。 最初に診察したのが 55,56 歳ですから,20 年以上にわたりずっと診させてもらいました。 症例報告として数回発表もしましたし,最も印象に残る症例となりました。

飛田 佐藤先生はいかがですか。

佐藤 日中の傾眠を主訴に大学の睡眠時無呼吸症候群外来を受診された 17 歳の少年です。 授業中に居眠りを繰り返すので,お母さんが学校に呼び出されました。居眠りが多いということは, 家庭での生活が乱れているのではないかと先生に疑われたのです。キムタク(木村拓哉)似の痩せた(BMIが 17.9)少年で,小顎症でもなく扁桃肥大以外にこれといった所見はありませんでした。 私の初診時診断は,「こんなに痩せていては,扁桃肥大があっても授業中に居眠りを繰り返すほどの重症な OSAS ではない」でした。当時は,PSG 検査待ちの患者さんがたくさんいましたし, OSAS は肥満者の疾患であると考えていましたので,他の疾患(ナルコレプシーや本当に家庭生活が乱れている)を疑い, PSG 検査をしないで精神科などを紹介しようと考えました。お母さんは,そんな私の心を読みすかしたかのように, 睡眠中の息子を映したビデオを取り出しました。今もそのビデオを講演などで使わせてもらうのですが,典型的な OSAS(後の PSG 検査で AHI は,69.6 回/時)でした。

 それ以後,SAS を心配して受診する患者さんに対して,問診とか身体所見だけから SAS を否定してはいけない,全例に PSG 検査を行うのが SAS 診療に関わる医者の義務だと考えるようになり,PSG 検査待ち期間を減らすために,耳鼻科や歯科などの先生方と協力してネットワークシステム(Niigata Sleep Disordered Association, NiSDA)を作ることにしました。

飛田 私にも小学校 3 年生の男の子の症例があります。休み時間や体育の時間には活発に動き回っていたようですが, 授業になるとすぐ居眠りをし,成績も悪くなって,どこか具合が悪いのではないかと小児科に行ったりしたが,原因がわかりませんでした。 本学の小児科に紹介されてきたとき診察室で居眠りしているのを看護師が見て,これはおかしいと思って,私どもの外来に連れてきました。 お母さんによると,夜も突然起き上がり,寒くても汗をかいて座ったまま寝ていることが多かったとのことです。

 外来で SAS のスクリーニング検査を始めたころでした。PSG をやったところ,SAS 指数が 50,酸素飽和度が 90%以下になる時間帯が全体の 50%を超えていました。 扁桃肥大がありましたので耳鼻科の先生に診ていただき,扁桃摘出術を行ってもらいました。 翌日からいびきをかかなくなり,日中の過眠も消えました。退院してから活動状況がよくなって成績も上がり, 一流高校,大学を卒業して,今は立派な社会人になって活躍されているとのことです。劇的に治療効果が上がって親御さんにも喜ばれた例です。

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