>   >   >  TOPICS 臨床試験の基盤設備はどう進めるべきか
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生物統計学者の育成と活用−大橋靖雄
専門家が育っていない日本の実情
 

 日本における,生物統計家あるいは試験統計家の育成と将来の展望について述べさせていただきたいと思います。

 臨床試験は臨床研究の重要な部分であり,治験を包含するものでありますが,新薬開発のための治験はともかく,evidenceを作るような臨床試験がわが国では欠けていたということは皆様方ご指摘のとおりです。なぜわが国で臨床試験ができなかったかというと,研究を行ううえで必要な条件があまりにも不足していたということが最大の理由です。

 まず,法的な規制の問題があげられます(表1)。National Research Act,つまり臨床家の行う研究に関する法的な枠組みが治験を除いてはないとか,研究資金の供給と適切な評価システムがなかったことが非常に重要です。

  
表1 臨床研究を行ううえでわが国にないもの・不足しているもの
・Clinical Research Coordinator/Research Nurse/Clinical Research Associate/Local Data Manager
・Clinical Scientist
・Medical Statistics/Biostatistcs
・Statistical (Coordinating) Center
・Medical Writing/Medical Writer
・National Research Act 国家研究法
・Funding and Evaluation System 研究資金の供給と評価

 CRC(clinical research coordinator),research nurse,CRA(clinical research associate)が欧米の臨床試験では必須ですが,わが国には病院側で臨床試験の支援をするスタッフが欠けていました。 それに加えて,私の分野である統計学においては,人材もそうですが,中立な研究を行うための統計センターが存在しなかったということもあります。

 また,臨床試験のプロトコールを作成できるclinical scientistが製薬企業にも臨床家の中にも殆ど存在しなかったということも重要な「なかったもの」だと思います。

 欧米においては(欧米が常によいとはいいませんけれども),臨床研究には統計家が必ず責任をもってはじめから参画します。論文を書く場合にはauthor shipの2番目に名を連ねるのは常識です。これは治験でも同じです。 ICH-GCPの中に臨床治験においては適格なものを活用すべきという行がありますが,生物統計学者は第1番目に書いてあります。

 この「統計学者」について,どうもわれわれの理解と世の中一般の理解とではだいぶ違うのではないかという気がしてきました。 生物統計家という呼び方を変えてtrialistとか,methodologistと呼んだほうがよいのではないかということをわれわれは考えていますし,海外でもそのようにいっています。

 また,ICH E9ガイドラインの中では試験統計家(Trial Statistician)という言葉を使っています。これがMethodologist,Trialistに近い言葉ですが,生物統計家と呼ばないで,Trial Statisticianという言葉を使ったのです。このガイドラインは原則だけを述べたガイドラインで, 実際の手法の決定などはすべて試験統計家の責任になるため十分な教育と経験がなければいけないと規定してあります。 日本の環境ではこれがなかなか難しいというのが本日の話のテーマになるわけです。

 通常の統計学と臨床試験の試験統計家の行う統計学とはだいぶ違います。 チバガイギー社で試験統計家のトップだったSenn Sが,会社に来る前 12年間統計の先生として働いていたのだけれども,チバガイギー社に行って驚いたといいます。 医学・薬学・新薬開発ではなく,専門の統計学を学び直さなければいけなかったからだということです。 どこが違うのかといいますと,まず,数理統計学と応用統計学は全く違う学問であるといってよいと思います。 他の応用統計学,例えば工学の分野,あるいは経営やマーケティングリサーチの分野とわれわれが行っている試験統計とでは全く違います。 臨床試験は対象が人間です。しかも非常に多様な例を扱います。当然倫理の問題が生じます。また,われわれは基本的には実験を行っているわけです。 しかもランダム化という操作をかなり厳密に行う数少ない,ほとんどないといってよい分野です。経済統計にはランダム化ということはありません。マーケティングリサーチもほとんどありません。

 臨床試験方法論はここ10〜15年で急速に展開をしました。これには他の応用統計の分野では全く存在しないランダム化割付けであるとか,中間解析や生存時間解析とか, かなり特化した分野が含まれます。経時データ解析もこの10〜15年で急速に進歩した分野です。 これまでの日本は専門家をつくるという風土ではありませんでしたので,特に企業においてはなかなかこの分野の専門家が育っていません。

 もしもPh.D.をもっているということで資格化を定義し,かなりの経験をもっていることを条件として上乗せすると,日本に生物統計家, あるいは試験統計家というのはほとんどいないに等しいのです。全製薬会社を合わせても,Ph.D.をもって,経験のある統計家というのは5人ぐらいしかいないのです。 大学・研究所でも10人はいないでしょう。CROはほとんど0か1というのが日本の現状です。欧米と比べて桁が二つ違うのです。

 どうしてこうなったかといえば,まず,大学に育てる部門がないからです。 海外には生物統計学の関連の学科は腐るほどありますが,日本に学科は存在せず,私の部門が一つあるだけです。 来年(2000年)の4月に国立大学でもう一つ誕生する可能性がありますが,あとは北里大学の薬学系研究科に一つあるという状況です。 かたや1年で100人のPh.D.が誕生するのに対し日本では1,2人がせいぜいというのが現状なのです。

 海外の状況がヨーロッパ製薬企業統計家の連合(EFSPI Working Group)のレポートとして発表されました (DIA J 1999;33:407-15 )。ある程度の資格と経験のある試験統計家が何人いるかという表と各国のシステムが載っています。 ベルギー75人,ドイツ170人。圧倒的に多いのはイギリスの600人です。スイスも会社は大きいのが二つしかないわけですが,100人ぐらいいます。これが世界の状況です。

 製薬協83社を対象に,「貴社の統計部門で働いているスタッフは何人いますか。 そのうちどれくらいが本当に試験統計家といえる人たちでしょうか」というアンケートを行い自分たちで評価していただきました。 その結果は,部門で働いている統計家は400人で,そのうち試験統計家と呼べる人は20%いないという自己評価なのです。 結局,試験統計家の育成にわが国は完全に失敗しているという状況です。では,これからどうするかという話になるわけですが,その前に,なぜかということをもう一つ別な側面からお話しします。

 日本では実は産業界への統計学の応用は大成功しました。なぜかといえば,日本は全員参加型のシステムを採用して,非常に基本的な手法を全員が学び, 自分の仕事の向上に役立てたという風土があります。これは非常に有用な考え方で,おそらく今後CRCやresearch nurseの教育にはこの観点,つまり品質管理の活動は大いに参考になると信じています。

 ところが,アメリカは1980年代までは大失敗しました。アメリカの場合,産業界では専門家を配して独立部門として管理する部門をつくり,これが失敗したのです。

 臨床試験における薬効評価は,実は産業界における統計学の応用とは逆です。というのはこれが技術的にきわめて高度な分野になり, しかも中立性を必要とする部門であったため,どうも日本人の発想に合わなかったというのと,日本ではガイドラインはルールとして機能するということがあります。 いままで日本の臨床試験では統計家はいなくてもよかったのです。つまりプロトコールの薬の名前だけを変えて治験をやって同等性のデータが出れば,それで申請を認めてきたものですから ,考える必要はなかったので統計家もいらなかったというのが実態だと思います。

 試験統計家の役割
 

 試験までの統計的側面の責任をもつことです。具体的にはプロトコールを作り,解析計画書を作ります。 これは大変な仕事で,現在では30ページから200ページぐらいの解析計画書をデータ固定の前につくります。 それから解析実施,検証,報告書の作成が仕事になります。また規制当局との対応や品質管理,品質保証もしなければいけません。 では,どれぐらいの数の統計家がどのくらいのレベルで必要かという話になります。

 DIA Journal(1999; 33: 427-33)に統計家のパフォーマンスをいかに評価するかという論文が掲載されましたが,統計家には階層が必要だと思います。 すべて1人でこなすことはできないので,Ph.D.かマスターレベルで10年以上の経験をもちある臨床領域全体に責任をもつような統計家, シニアな統計家,一般統計家,プログラマー,この四つぐらいの階層レベルは必要だろうと思われます。

 では日本の製薬企業あるいは外資系製薬企業の日本支社でどの程度の数が必要かと申しますと,最も偉い統計家は1社に1,2名でよいのです。 シニア,一般のレベルは1人で担当するのが同時にせいぜい2〜3プロジェクト,2〜5試験程度がおそらく最大数だろうと思います。 いまはちょっとオーバーワークかもしれませんが,私は人の配置の問題は,量の点では統計の部門はそれほどひどくはないと思っています。むしろ問われているのは質の問題です。

 量の点で問題となっているのはDM,すなわちデータマネージメント部門のスタッフの不足です。 これはきわめて深刻で,CROにむやみに外注している会社が多いのですが,ときに破滅的になり,その会社の核を失う危険性をもっています。 また上級統計家は外注が可能なのですが,残念ながらこの面では日本におけるCROの能力が決定的に不足しています。大学も役割を果たせるかというと, 現状ではなかなかうまく果たせません。独立行政法人化を期待しています。

 繰り返しますが,この分野の人材の問題は数の問題ではなく質の問題であるということで,何らかの形での上のレベルの教育が必要ではないかと考えています。

 今後の治験
 

 統計とは何かといえば,実は解析よりは圧倒的にデザインの点での貢献が期待されています。 というのは,ICHの流れの中で海外のデータを積極的に利用するようになってきました。治験のシステム,治験のやり方が,もちろん市販後の臨床試験も含めて大きく変わろうとしているのです。

 例えば,一般薬の治験ではかなりのphaseのスキップがなされるようになります(表2)。 ある程度の用量設定試験の結果がわかっていれば,国内で一度dose finding studyをやって,海外の大規模臨床試験のデータがあれば認可されるであろうし, 日本でかなり早期に開発に踏み込むならば,小規模の用量探索試験をして,あとは海外の大規模臨床試験に参加することになるでしょう。 申請後・承認前に長期試験ができるようになってきましたので,組み立てが大きく変わります。どういうデザインをとるかは統計家の責任あるいは腕の見せどころで, その機会はますます増えてきたわけです。癌については相当なヴァリエーションが出てきています。

  
表2 今後の新薬開発
・一般薬
第1相(PK,可能ならPD)
A:海外の用量設定試験の結果を利用
プラセボ含む3〜4用量の検証試験+海外大規模試験
B:小規模の用量探索試験(PD)+海外大規模試験への参加申請後3bの試験,申請後の長期大規模試験
・がん
ステップ数少ない第1相
second,third-lineによる申請,検証試験は国内は一つで可
申請後の併用試験,first-lineの試験(多くは比較試験)
 臨床試験計画に関する新しいアイデア
 

  臨床試験の計画に関してはさまざまな新しいアイデアがでてきました(表3)。 このような新しいアイデアを取り入れられた試験がどんどん始まっていくわけです。

  ここで最も必要なのが臨床家と統計家の協力なのですが,統計家の数がこれだけ少なく,短期には供給がとても望めませんので, 臨床家の教育という形で数年間は乗り切らざるを得ないだろうと考えています。

  
表3 試験計画に対する新しいアイデア
  • 患者背景のバランスを遂次とる動的割付け
  • 多数の要因効果を同時に検証する多因子要因実験
  • 新しい型のデザイン,randomized withdrawalなど
  • 中間解析
  • 新治療が(プラセボに対し)有効なら早めに停止これ以上続けても意味がなさそうなら早めに停止
  • ベイズ流の逐次試験
  • 施設間差の解析による一般化可能性の検討
  • 臨床家の意見,他試験の結果を考慮したデータの解釈
  • メタアナリシス
  • Bridging研究
 統計家と臨床家の協力
 

 プロトコールをつくるうえでの統計家,臨床家のお互いの責任について述べたいと思います。臨床家にとっては適格条件, 用量変更というところが,統計家はサンプルサイズとか,先ほど出た中間解析などは当然責任部分となりますが,最も重要なのがその中間にあります。 エンドポイントをどう設定するか。研究仮説をどう明確化・定量化するか,どういうデザインを使っていけば,有効でかつ倫理的に試験ができるか。 データをどう扱えば,この研究の目的に合った解析ができるのか。これは臨床,統計両方の歩み寄りが必要で,統計家のみでも, 臨床家のみでもできない仕事であるということを強調しておきたいと思います。

 プロトコールの統計的側面とそのチェック

 プロトコールの統計側からのチェックポイントをいくつかあげてみたいと思います(表4)。 およそ20ぐらいのチェックポイントがあります。症例数の決定ばかりが統計家の仕事ではなく,さまざまな側面があるのです。

 例えば試験の目的と型を決めるうえで統計家はどんな助言ができるか,過去の根拠は統計的に十分か,過去の研究の解釈評価は統計的に妥当か, 仮説が明確に定量化されているか,臨床的同等という言葉を使った場合その範囲の設定は妥当であるか, どういうデザインが効率的・倫理的か,盲検をどういうレベルで行うべきか,といったところに統計家の貢献が期待されるわけです。 先に述べましたように,これらの多くは統計と臨床の協力でなされます。

  
表4 プロトコルの統計的側面とそのチェック
  • 試験の目的と型
  • 症例登録
  • 適格条件と除外条件
  • エンドポイント(変数)
  • 目標症例数
  • 試験治療,併用薬(治療),必要な観察
  • プロトコル中止と患者の追跡状態
  • 中間解析,独立モニタリング委員会
  • 解析対象集団の設定と統計解析
  • 有害事象
  • 検査値情報の管理
  • QOL
  • 施設の定義
  • 調査票の記入と流れ
 欧米における臨床家向けの教育プログラム

 日本ではいままでほとんど行われてこなかったのですが,欧米では臨床家,クリニカルサイエンティスト向けの教育がかなり行なわれています。 スイスのバーゼルで行なわれている臨床家向けのプログラムでは,年に21日間を2年間にわたり行うプログラムがあり主なターゲットは製薬企業の臨床家です。 この中で非常に大きなウエイトを占めているのは臨床試験方法の生物統計であることに注目していただきたいと思います。

 同じくロンドンとブラッセルで行われている教育では,8週間の教育で免状が出るそうですが,この講義もかなりの多くの部分が生物統計学,臨床試験方法論に当てられています。

 アメリカ臨床腫瘍学会,アメリカ癌学会の共同の教育プログラムがありますが,これは5.5日間です。 プロトコールを泊まり込んでつくるという教育システムですが,100人の生徒に対して40人の教育スタッフで,統計家が10名以上参加しています。 さらに,「お気に入りの統計家」との会食という時間まで設けてあります。それぐらい両方の歩み寄りがあるということです。こういう面での教育が,いま必要だろうと思います。

 今後の統計に必要な分野

 さらにこれまでのような申請のための統計から一歩進んで,トランスレーションリサーチや市販後の研究までを含めて考えますと,意思決定のための統計であるとか, ゲノムの解析,ポピュレーションPK解析,QOL,経済評価,ということが必要となります。こういった分野に強い統計家も実は決定的にわが国では不足しています。

 臨床試験をその目的によって説明的な試験,探索的な意思決定の試験,検証のための試験と分けてみますと,通常統計といわれているのは検証のための試験の部分です。 検証的な,つまり仮説検定の方法論は十分に発達して十分に理解されてきました。現在必要とされているのは,より早期の探索的な意思決定の試験の部分です。

 つまり,検証的な,仮説検定を中心とする規制に応えるための申請のための統計ではなくて, 製薬会社,あるいは研究グループの意思決定のための探索的な解析あるいは統計学がいま必要とされていて, その分野での教育,あるいは教育のシステムはまだまだ存在しないというのが現状です。

 教育・育成の今後の課題

 さて,どう教育・育成するかということで三つの提言,あるいは現状のまとめをご紹介します。第一が,製薬協・研究開発委員会からの提言です。昨年出されました。

 1) 育成システムをきちんと確立する

 2) 産・官・学の交流促進をする

 3) 臨床データを今後の教育に使えるよう,開示システムを作る

 ここでは「Ph.D.が必要である,資格認定が必要である」という論調ですが,われわれは,これには反対です。私が座長をしている日本計量生物学会ワーキンググループでは,

 1)Ph.D.は必ずしも必要ではない。Ph.D.は研究できることの証明であって,試験統計家として働ける証明にはならない。

 2)ひとりですべて兼ねる必要はない。レベル分けをする必要がある。

 3)教育と経験のバランスと,その要件の提示をすることでいまのレベルは止めたい。

 4)資格認定に関しては議論があるが,必要ではないだろう。というのは自然の淘汰が起こるだろうという気がしますし,真面目な資格認定をすると,現在働いている人たちの職を奪いかねないので,これは慎重でありたい。

 5)正式な教育コースは必要だろう

 ,という結論を出しました。

 ヨーロッパでも似たような状況で,ヨーロッパ全体の統一資格は不可能であるという状況です。必要条件として,統計学の学位,あるいは1年フルタイムの統計教育と3年を超える経験がヨーロッパのコンセンサスになりました。日本もこれを目標にするつもりですが,統計学科がありませんので,1年フルタイムの統計教育をどうするかということがわれわれ大学に課せられた任務というか,責務になったわけです。

 現在利用可能な教育プログラムは国内学部にはほとんどありません。私のところで若干やっていますが。修士に関しては北里大学がつくりましたが,修士2人ぐらいの小規模です。現在School of Public Healthという,社会人も対象とした大学院構想が動きだしていまして,京都大学が4月からつくります。東大でもできる可能性があるかもしれません。国外にはもちろんたくさんあります。今後の可能性としては, FDAが大変協力的で,ある程度教育は請け負ってもよいとおっしゃってくれています。幸い東京大学には通信衛星を利用した教育システムがありますので,それを使った教育などが可能かもしれません。ということで,多少明るくなってきたという状況です。

 日本科学技術連盟ではCTセミナーのほかにBIOS(医薬データの統計解析専門コース)という社内統計家対象のコースを10年間やっていまして,これまで419名を育てた実績があります。このコースでは大きく数理統計,医学データの解析,臨床試験の方法論,事例研究,総合実習を行っております。これは,実際に臨床試験を行う中でプロトコールを書きデータを解析するというものです。

 ま と め

 生物統計家・試験統計家は,臨床試験研究には必要ですが,供給は不十分です。修士レベルの正式なコースはやはり必須だと思います。 今後大学院の多様化に期待するところですが,ようやく明かりがみえてきた状況で,われわれは独立行政法人化にたいへん期待しています。

 試験統計家の役割を外注することも可能ですが,残念ながらCROのレベルが日本では低いのが実状です。 大学にベンチャーができるというのが望ましいのかもしれませんが,当座はクリニカルサイエンティストとしての医師への生物統計教育というのが最も効果的だろうと思っています。

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