■治療学・座談会■
アディポネクチンの現状と未来
出席者(発言順)
(司会)山内 敏正 氏(東京大学大学院医学系研究科糖尿病・代謝内科統合的分子代謝疾患科学講座)
下村伊一郎 氏(大阪大学大学院医学系研究科内分泌・代謝内科学)
中野 泰子 氏(昭和大学薬学部遺伝解析薬学)
小田辺修一 氏(久留米大学医学部内分泌代謝内科)

10 年間の急速な進歩

■強力な治療薬の増加と新しい診断基準

山内 アディポネクチンは,日本で発見され世界に情報発信し続けている生理活性物質です。 本日は,発見に関わられた下村伊一郎先生と中野泰子先生に来ていただきました。 また,小田辺修一先生は,フランスのパスツール研究所に行かれ,日本人2 型糖尿病の原因遺伝子座を同定するというプロジェクトで, アディポネクチンの,遺伝因子として重要である可能性を発見されました。

 当時の研究の様子や,発見後の解明過程など,そのあたりをご披露していただけますか。

■大阪大学医学部第二内科

下村 私が所属した大阪大学医学部第二内科は,1962 年に石川勝憲先生が,日本初の肥満外来を設置されました。 日本が高度経済成長を迎える前の時代から,肥満に注目していました。

 私が阪大に入ったころ,助手の松澤佑次先生が,CT 写真を示されながら,皮下脂肪型と内臓脂肪型では内臓脂肪型のほうが悪いと,お話しされていました。 当時,いわゆる成人病が徐々に増加していたので,内臓脂肪と言われているものがいったいどのような悪さをするのかと,私は興味をもちました。

 皮下脂肪と内臓脂肪の違いからわかってきたのは,内臓脂肪は生理活性が高く,特にエネルギーを取り込むという機能をもち,かつ,脂肪を脂肪酸というかたちで排出するということです。 世界的にも,私たちの研究室でも,内臓脂肪型肥満が悪いのはこの脂肪酸が理由ではないかと考え,研究を行っていました。

 1992 年に教授の垂井清一郎先生が主催された日本動脈硬化学会で,大阪大学細胞生体工学センター長の松原謙一先生を招聘し,「ヒトゲノム計画」という特別講演をしていただきました。 松原先生は,組織や細胞における発現遺伝子のプロファイルをされていて,ヒトの臓器の遺伝子を比較して,その臓器に特異的な遺伝子や未知の遺伝子を調べておられました。

 当時,私は大学院の 4 年生でその手法に興味をもちました。当時,その研究は,ボディマッピングプロジェクトとよばれていました。 皮下脂肪と内臓脂肪を調べたところ,他の臓器に比べ,エネルギーを蓄積する蛋白の発現遺伝子やエネルギー代謝に関わる遺伝子, あるいは核内蛋白,転写因子などの生理活性に関わる遺伝子の発現が多いことがわかりました。

 まったく予想していなかったのが,分泌蛋白が多いことでした。皮下脂肪では遺伝子のなかの 19%,内臓脂肪では約 30%を分泌蛋白が占めていました。 手法は松原先生が開発されたもので,poly−ARNA から 3 プライムの cDNA を作り,Mbo 1 という 4 ベースのカッターになる制限酵素を用いて, 平均 250〜350 べースで,poly−Atail から 5 プライムでのシークエンスを全部読んでいくという地道な作業です。 その結果,脂肪組織が生体で最大の分泌臓器であることがわかり,アディポサイトカインという概念で提唱したのです。 さらに,当時未知で,かつ脂肪組織特異的な遺伝子がいくつか見つかり,なかでも非常に多量に拾えたのが,現在のアディポネクチンの遺伝子でした。当時,多いという意味から adipose most abundant gene number one,apM1 と名付け,報告したのです。

山内 ヒト脂肪組織における遺伝子発現をランダムに 1600 読まれたのですね。 私どもはまったく別の経路から着目していました。 1990 年代後半に,肥満,すなわち脂肪細胞が肥大化したら減少する遺伝子のなかの,日本人2型糖尿病疾患感受性遺伝子領域に存在する遺伝子という組み合わせで,アディポネクチンに注目しました。 そのとき,昭和大学の富田基郎先生が GBP28 というアディポネクチンと同じものを研究されていて,良い抗体をもっておられたので,私は,門脇孝教授とともに共同研究をお願いしに行ったのです。

■昭和大学薬学部

山内 1996 年に中野先生は筆頭著者として,蛋白精製でアミノ酸配列を報告されました。 その研究のご様子を教えていただけますか。

中野 当時,教室では,補体系の制御因子に注目し,自己・非自己の認識機構を研究しており,CD59 などを発見していました 。補体系は,自己・非自己の認識というよりは補体因子と制御因子の相互作用で,自己に対しては制御が早くかかることにより攻撃が抑制されることなどがわかってきました。 また,補体制御因子のCD55 や CD59 は GPI アンカー蛋白なのですが,立体構造解明のために,これらのジスルフィド結合や GPI アンカーの構造などの構造解析を行っていました。 しかし,補体系の研究が少し斜陽になってきた(笑)ことから,組織修復に関連する蛋白を発見しようという話になり,私はゼラチン・セルロファインを使い, コラーゲンに結合する新規蛋白を見つける研究を始めました。 1995年 5 月 1 日にゼラチン・セルロファインを購入し,フィブロネクチンを精製する方法を参考に実験を開始しました。 ヒト血漿をゼラチン・セルロファインにアプライし,その後,0.15MNaCl で洗い,さらに 1M NaCl で洗った後,フィブロネクチンを溶出する条件 6M Urea で溶出し, この分画から新しい蛋白を見つけようと考えていました。

 しかし,電気泳動をしてみたところ 1M NaCl での洗浄画分にアルブミンや IgG 以外に数本のバンドが認められ,N 末端アミノ酸配列を解析したら,幸運にも新規の蛋白の配列が出てきました。 内部のアミノ酸配列を解析するため,リジルエンドペプチターゼで消化しましたが,消化されにくくペプチドは3 個程度しか得られませんでした。 トリプシンでもやはり消化されにくく,内部配列を得るのに苦労しました。

 一方,得られたペプチドのアミノ酸配列でホモロジーサーチしても一致する蛋白は出てきませんでした。 最もよく似ていた蛋白は冬眠関連蛋白,hibernation associated protein でした。 それが,ある日突然ヒットし,脂肪細胞で最も多く発現している mRNA がコードしている蛋白だとわかり非常に驚きました。 本当に失礼だったのですが,報告者の前田和久先生にすぐに電話して確認させていただいたほどです。

 このように本当に偶然に,研究を始めて 2 週間程度で発見し,配列を決めてもまったく未知の蛋白でしたが, その後,cDNA を得ようと検討している最中の1995 年の 6 月ころに,前田先生と下村先生方がジーンバンクに登録されたデータがオープンされ,すべてが一気に明らかになったというような顛末でした。

下村 論文報告は 1996 年で,1995 年 1 月に apM1 としてジーンバンクに登録しました。

中野 6 か月後にオープンになりますからね。

 しかし,蛋白が精製できてアミノ酸配列がわかっても,その後の研究は機能を模索するという状況でした。 冬眠蛋白に一番似ていましたので,マウスを寒冷曝露したりもしました。 2001年に Lodish らによるグロブラーアディポネクチン(アディポネクチンの C 末球状ドメイン)が血中脂肪酸濃度を低下させるという衝撃的な報告があり,突破口ができたという感じでした。

山内 その後の研究を含めて,多量体の構造など,どうして構造が違うかなど,どうお考えでしたでしょうか。

中野 発見当初,アディポネクチンの内部アミノ酸配列解析のために粗精製品を電気泳動で分離し, PVDF 膜にブロッティングして,得られたバンドを解析に用いていたのですが,ある時,学生がサンプルを煮るのを忘れてしまいました。 通常,蛋白は還元しただけで1 本の直鎖状になりますが,アディポネクチンは煮なかったことで泳動して得られるバンドの分子量が変わり 28000 から約 70000 になってしまいました。 コラーゲンは,加熱しないと3 量体構造が崩れず電気泳動でこのような挙動をすることがわかっていましたので,これは絶対にコラーゲン様ドメインをもち,3 量体構造をとっていると確信しました。

 その後,精製していく過程で,イオン交換ではどうしてもきれいにできず,ゲル濾過を用いたところ,かなり高分子量の 420kD 程度のところに溶出されました。 そのころ,N末端アミノ酸配列に相当するペプチドに対する抗体などを所有しており,検出にイムノブロッティング法を用いていましたが,420kD の分子種以外に 180kD 程度の蛋白の溶出位置までアディポネクチンが検出され,かつ,3 つのピークに分かれて溶出されることがわかりました。 当時は溶出位置からそれぞれ 3 量体が6 個,4 個,2 個の分子種だと推定しました。 現在では,これらは 18 量体の高分子量多量体,6 量体,3 量体であることがわかっています。 また,どうしても18 量体の高分子量アディポネクチンしか精製できず,6 量体が精製の過程でわずかに精製できる程度でした。

山内 冬眠蛋白との関連では,アディポネクチンはどうなのでしょうか。

中野 先ほど寒冷曝露したとお話ししましたが,低温環境下に置くと,数時間でアディポネクチンの発現が増加しました。体温を保持するためだと,当時考えました。 その後,トランスジェニックマウスを作りましたが,アディポネクチンアンチセンストランスジェニックマウスでは, 血清アディポネクチンは半分程度にしか減りませんが,低温曝露すると,瞬く間に体温が下がってしまいます。これで体温の維持に働く蛋白だと確信しました。

下村 野生型で,寒冷曝露させると,血中濃度が上がってくるのですか。

中野 はい。4℃の低温室で 3 時間,6 時間,12 時間と経過をみますと,6 時間くらいから mRNA が増加し,血中濃度も急激に上がってきます。

小田辺 冬眠蛋白だということは,代謝を落とすのですね。

中野 それが,名前は冬眠関連蛋白と命名されていますが,この蛋白は夏はかなり多く血中に存在しますが,冬になり冬眠すると血中から消えます。 三菱化学研究所の近藤宣昭先生がその後発表されましたが,冬の間は脳中に存在しているということです。 冬眠期には体温が下がりますが,その間でも餌を食べるために起きた時には体温が少し上昇し,血中の冬眠関連蛋白の濃度は急に上昇しているらしいです。

小田辺 私は寿命の研究をしていますが,冬眠物質と長寿の関連を研究する先生もおられます。 冬眠はカロリー制限と同様な状況下なので,代謝を落とし,それと同様な状況を作ることで寿命を延ばそうとされています。 中野先生の冬眠蛋白のお話を伺い,寿命と関係するという確信がもてました。

■フランスのパスツール研究所

山内 ご留学当時のことをお話ししていただけますか。

小田辺 1996 年当時,私は山内先生と同じ門脇先生の研究室にお世話になっていました。 当時,門脇先生が日本人でのゲノムプロジェクトとして,affected sib−pair analysis(罹患同胞対解析)によって日本人の糖尿病原因遺伝子を発見したいと,研究されていました。 日本人の 2 型糖尿病 159家系を集めていただき,その貴重な家系のゲノムをもって, 日本では当時できなかった統計の手法で解析するために,フランスのパスツール研究所のフィリップ・フローゲル博士の所に行きました。 当時,シカゴ大学のグラム・ベル博士の研究室ではすでに進んでいたと思いますが,今だったら追い着き追い越せる可能性があると,1996年に留学することになったのです。

 そのとき,シカゴ大学に山懸和也先生が留学されていて,MODY の 2 つの遺伝子で,MODY4 が HNF−4α遺伝子異常で, MODY3が HNF−1α遺伝子異常であることを,『Nature』に立て続けに報告されました。共著者には,フローゲル博士も含まれていました。

 留学時,フローゲル博士は 30 代後半で,1992 年に MODY2 がグルコキナーゼ遺伝子異常だと発表しています。 MODY 遺伝子はこれまで6 つ発見されていて,そのうちの 3 つにフローゲル研が関与したわけです。研究室は非常に大きく,約 30 人が所属し,統計学者も多数含まれていました。 私は,159家系もあれば十分に罹患同胞対解析で,日本人の 2 型糖尿病の原因遺伝子が必ず発見できると信じ,研究を続けました。

 私が用いた罹患同胞対解析という方法は,糖尿病を罹患した兄弟を含む家系を集め,これらの家系での観察データをもとに計算し, 連鎖マーカー遺伝子領域を絞り込んでいくという,一般的なものです。 当時,フローゲル研では,この方法を用いて,人種や肥満に関する原因遺伝子を発見するというプロジェクトがすでにいくつか進行していました。

 ただ,これはあくまでも単一遺伝子異常の場合で,遺伝子がいくつあるか不明なうえに,フェノタイプが明らかな糖尿病ではない可能性もありうるので, 今振り返ると,159家系では不十分だったのではないかと思います。 それで,解析に時間がかかってしまいました。私は 3 年間フローゲル研にいましたが,研究の半分程度しか終わらず,現在虎の門病院におられる森保道先生に,仕事を引き継いでいただきました。

 私が留学したのが 1996 年,その結果を発表できたのが 2002 年 4 月の『Diabetes』です。 このときに,3 番染色体の長椀,7番染色体の短椀など,8 つの遺伝子座が発見され,3 番染色体の長椀 3q26−q28 の部分,3q27 の遺伝子座にアディポネクチンがありました。 その後,アディポネクチンの多型性と2 型糖尿病発症との関連が明らかにされたのです。

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